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マタイの福音書のデボーション

弟子?群衆の一人?

その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。(マタイの福音書5:1)

なぜか、私はいつも、イエス様が群衆に教えるために山に登られたと思っていました。でも、実際は、イエス様は群衆から離れようとされたのかもしれません。イエス様が山に登られるときは、たいてい祈るためでした。

もしマタイ5章とルカ6章が同じ出来事だとしたら(そう考える聖書学者もいます)、このときも、イエス様は祈るために山に登られたのでしょう。

そして、イエス様が祈られたあと、最初にみもとに来たのは群衆ではなく、弟子たちでした。(群衆はあとで来たようですけれど)(マタイ7:28)

群衆の多くは、イエス様に癒しを求めて来ました。(マタイ4:24〜25)

でも、弟子たちは、イエス様に教わるために来ました。

1節を読んで、私は考えていました。「どうして、私はイエス様のみもとに行くのだろうか。」

私はただ、イエス様に何かを求めているのでしょうか。イエス様の助け?癒し?祝福?それとも、私は本当にイエス様から学びたいのでしょうか。

私は、群衆の一人なのでしょうか。それとも、私は本当にイエス様の弟子なのでしょうか。

私は、イエス様の弟子になりたいです。私の主から学びたいのです。私は、イエス様のようになりたいです。

心の清い人になりたいです。

義に飢え乾く人になりたいです。

柔和な人になりたいです。

世の光、地の塩になりたいです。

うわべだけの義ではなく、心から溢れる真の義を持ちたいです。

イエス様と同じように人を愛したいです。

天のお父さんが完全であるように、私も完全でありたいです。

今日、ある歌が思い浮かび、それを祈りました。

Lord, I want to be your disciple, an example, the way you were to me.
主よ。私はあなたの弟子になりたいです。あなたが私の模範でいてくださったように、私も回りの人々の模範になりたいです。

And as I see your humble perfection, let me be a mirror of your heart.
あなたの謙遜と完全さを見るとき、私があなたの心を映す鏡となりますように。

I want to walk in the image of you, like a child imitating what his Father would do.
あなたのかたちに倣って歩みたいのです。お父さんの真似をする子どものように。

A mirror of your heart. — Chris Christian
あなたの心を映す鏡になりたいのです。――クリス・クリスチャン