これはよく引用される旧約聖書の箇所です。とはいえ、これは本当に理解しにくい箇所です。
神様はイザヤにイスラエル人のためにこのメッセージを与えられました。
行って、この民に言え。「聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。」
この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、立ち返っていやされることのないように。(イザヤ書6:9ー10)
本当につらいメッセージですね。そして、イザヤは神様に尋ねました。「いつまでですか。」(11)
神様は答えられました。
町々は荒れ果てて、住む者がなく、家々も人がいなくなり、土地も滅んで荒れ果て、主が人を遠くに移し、国の中に捨てられた所がふえるまで。
そこにはなお、十分の一が残るが、それもまた、焼き払われる。(11-13)
これはどういう意味でしょうか。少し不公平ではないでしょうか。なぜなら、神様が彼らの目を閉ざし、彼らの耳も遠くされたからです。神様は本当にそのようなことをされるでしょうか。
イエス様がこの世に生まれる前に、この箇所はギリシャ語に翻訳されました。そして、パウロはその翻訳を引用しました。その翻訳によって、神様の意味がもっとはっきり分かるかもしれません。
パウロは言いました。
この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。。。(使徒28:26ー27)
つまり、その問題は神様のせいではありません。その問題はイスラエル人のせいでした。
神様は彼らに語り、罪の結果について警告されましたが、彼らは耳と目を閉ざし、神様の言葉を聞くことを拒絶しました。
そして、神様が語られれば語られるほど、彼らの心はますます堅くなっていきました。さらに、心が堅くなればなるほど、神様の言葉を受け入れることがいっそう難しくなっていきました。
神様は彼らの反応が分かっておられましたが、警告し続けられました。その意味で、神様は彼らの心を堅くされました。けれども、神様には他の選択肢があったでしょうか。
ある歌によると「蝋を溶かす太陽は粘土を固める。」
神様の言葉が心に与える影響は同じです。
ある人々にとっては、神様の言葉が心を柔らかくするので、彼らは神様の声を喜んで聞きます。
しかし、ある人々にとっては、その同じ言葉が彼らの心を堅くするので、彼らは神様に背を向けます。
だから、神様には選択肢があります。
一つ目は、神様が何も言わずにすべての人々が滅びることです。
二つ目は、神様が彼らを警告して、ある人々が救われることです。
だから、神様はイスラエル人とユダ人を警告し続けられました。
もちろん、多くの人々は神様の言葉を聞いて、その心が堅くなりました。しかし、ある人々はその同じ言葉を聞いて、その心が柔らかくなりました。
イザヤと他の預言者たちはそのような人々でした。時々、ユダの王も神様の言葉を聞いて神様に従い始めました。
神様は私たちを愛されているので、私たちをそのままにして滅びることを望んでおられません。ただ、どう反応するかは私たちの選択です。
私たちは心を神様に開くでしょうか。それとも、その心を閉ざしてしまうでしょうか。
耳と目を閉じるでしょうか。それとも、耳と目を開いて神様の語りかけに応えるでしょうか。
あなたはどうしますか?
