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ヨハネの福音書 ヨハネ17章

聖別された。聖別されている途中。

「聖別」。

日本ではこの言葉がどれほど一般的に使われているかはわかりませんが、英語の “Sanctification” は「Christianese」、つまり「教会の中だけで使われる言葉」と見なされることがあります。

聖書の中で「聖別」という言葉を目にすることもあれば、教会の説教で耳にすることもあるでしょう。では、その言葉はどのような意味を持つのでしょうか。

基本的に、二つの意味があります。

一つ目は、神様の目的のために、他のものから選り別けられることです。

二つ目は、清められることです。

イエス様が弟子たちのために祈られたとき、その二つの意味を見ることができます。

わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。

あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。

わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。(ヨハネの福音書17:16-19)

まずは、19節を見てみましょう。イエス様が言われたのは、弟子たちが(また私たちが)聖別されるために、イエス様がご自身を聖別されたということです。

要するに、天の父の目的のためにイエス様がご自身を選り別けてこの世に来られ、十字架で死なれたということです。その働きによって、イエス様は私たちを聖別されました。つまり、イエス様は私たちの罪を清め、私たちを天の父のものとされました。

だから、私たちはこの世にいるにもかかわらず、もはやこの世のものではありません。私たちの考え方や生き方は、この世の民の考え方や生き方とはまったく異なります。だからこそ、彼らは私たちのことを理解できず、憎む人もいます。

それでも、私たちが聖別される過程は、今もなお続いています。

神様の言葉と働きを通して、私たちは罪とは何かを理解し、次第にその罪を憎むようになります。

そして、罪を犯したとき、神様の言葉が私たちの心を打ち、悲しみと悔い改めへと導かれます。そのようにして、神様は私たちを絶えず清め続けてくださいます。

また、神様の言葉を通して、私たちは神様の御心を知るようになります。神様は私たちに、どのように生きるべきかを教え、またどのように神様の国の目的を果たすかを示してくださいます。

その言葉を聞き、従うと、私たちは日々、さらに神様の目的のために聖別され、主に用いられる者となります。

だから、ある意味では、私たちはすでに聖別されました。なぜなら、十字架で流されたイエス様の血によって、私たちの罪は清められたからです。

しかし、別の意味では、私たちは今もなお聖別の途上にあります。

イエス様が私たちの聖別のために祈っておられるので、私たちもまたそう祈りましょう。

イエス様、毎日私をさらに聖別してください。 私がよりあなたの姿に似るように。 私が罪を憎み、天の父の御業に参加できるように。

私が失敗したときには、どうか私を赦し、引き上げてください。 日々、私を清め、あなたのものとしてくださいますように。

あなたのみ名によって祈ります。アーメン。

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詩篇

神様の御名にほめ歌を歌う

詩篇92篇は安息日のために書かれました。神様はイスラエル人が神様を礼拝するために安息日を聖別されました。だから、この詩篇では、詩人は神様を賛美します。

私は1-2節が好きです。

主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。

朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。(詩篇92:1-2)

朝にあなたの恵みを言い表す。

どうして、私たちがそうするのは大切なのでしょうか。それは、今日も私たちが希望があることを思い出すからです。

私たちはどんな試練に直面しても、神様が私たちと共におられ、神様の手が私たちの上にあることを思い出します。

夜ごとにあなたの真実を言い表す。

日の終わりに、振り返って、神様が何をしてくださったか思い出すのは良いことです。

振り返れば、私たちが問題に直面しても、神様が私たちを捨てなかったことを悟ります。むしろ、神様が愛によって私たちを救い出してくださったことを悟ります。

だから、詩人は歌います。

主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。

主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。(4-5)

そして、詩篇1篇のように、詩人は悪者を正しい者と比べます。最初に、彼は歌います。

悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。

しかし主よ。あなたはとこしえに、いと高き所におられます。

おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行なう者どもがみな、散らされるのです。(7-9)

けれども、正しい者に関して、詩人はこう歌います。

正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。

彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。

彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。

こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。(12-15)

私はその最後の部分が大好きです。私たちは年を取っても、実を結び、みずみずしく、茂ります。

年を取るとき、私は枯れたものになりたくない。私はみずみずしく、茂っているものになって、周りの人々に神様の愛で触れたいです。

しかし、私たちがいつも神様にほめ歌を歌わないなら、枯れるものになるかもしれません。神様の愛や忠実さや慈しみを忘れ、苦々しく貪欲のある心を持ったら、私たちは枯れた木のようになります。

だから、毎日時間を取って、神様をほめたたえましょう。

朝でもほめたたえましょう。夜でもほめたたえましょう。一日中、機会があれば、主をほめたたえましょう。

そして私たちの一日だけではなく、私たちの心も神様のために聖別しましょう。