「聖別」。
日本ではこの言葉がどれほど一般的に使われているかはわかりませんが、英語の “Sanctification” は「Christianese」、つまり「教会の中だけで使われる言葉」と見なされることがあります。
聖書の中で「聖別」という言葉を目にすることもあれば、教会の説教で耳にすることもあるでしょう。では、その言葉はどのような意味を持つのでしょうか。
基本的に、二つの意味があります。
一つ目は、神様の目的のために、他のものから選り別けられることです。
二つ目は、清められることです。
イエス様が弟子たちのために祈られたとき、その二つの意味を見ることができます。
わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。
真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。
あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。(ヨハネの福音書17:16-19)
まずは、19節を見てみましょう。イエス様が言われたのは、弟子たちが(また私たちが)聖別されるために、イエス様がご自身を聖別されたということです。
要するに、天の父の目的のためにイエス様がご自身を選り別けてこの世に来られ、十字架で死なれたということです。その働きによって、イエス様は私たちを聖別されました。つまり、イエス様は私たちの罪を清め、私たちを天の父のものとされました。
だから、私たちはこの世にいるにもかかわらず、もはやこの世のものではありません。私たちの考え方や生き方は、この世の民の考え方や生き方とはまったく異なります。だからこそ、彼らは私たちのことを理解できず、憎む人もいます。
それでも、私たちが聖別される過程は、今もなお続いています。
神様の言葉と働きを通して、私たちは罪とは何かを理解し、次第にその罪を憎むようになります。
そして、罪を犯したとき、神様の言葉が私たちの心を打ち、悲しみと悔い改めへと導かれます。そのようにして、神様は私たちを絶えず清め続けてくださいます。
また、神様の言葉を通して、私たちは神様の御心を知るようになります。神様は私たちに、どのように生きるべきかを教え、またどのように神様の国の目的を果たすかを示してくださいます。
その言葉を聞き、従うと、私たちは日々、さらに神様の目的のために聖別され、主に用いられる者となります。
だから、ある意味では、私たちはすでに聖別されました。なぜなら、十字架で流されたイエス様の血によって、私たちの罪は清められたからです。
しかし、別の意味では、私たちは今もなお聖別の途上にあります。
イエス様が私たちの聖別のために祈っておられるので、私たちもまたそう祈りましょう。
イエス様、毎日私をさらに聖別してください。 私がよりあなたの姿に似るように。 私が罪を憎み、天の父の御業に参加できるように。
私が失敗したときには、どうか私を赦し、引き上げてください。 日々、私を清め、あなたのものとしてくださいますように。
あなたのみ名によって祈ります。アーメン。
