私は、宣教師になることについて初めて考えたときのことをよく覚えています。
友達と話していると、なぜか宣教の働きについての話題になりました。そのとき、私はこう言いました。 「神様は私を宣教師として召されていないと思う。」
すると、友達は答えました。 「どうしてそんなに確信があるの?神様にもう尋ねたの?」
「えっと。。。」
その夜(もしかしたら翌晩)、祈っているときにこの会話を思い出しました。
だから、私は神様にこう言いました。
「トニーさんに、あなたに宣教師になるよう導かれているかどうか尋ねるべきだと言われました。」
それを口にした瞬間、ある考えが心に浮かびました。きっと私自身の考えではないでしょう。なぜなら、宣教師になる意図がまったくなかったからです。
すると、神様がこう言われました。 「そうです。私に尋ねなさい。」
私の反応は?
「私は尋ねたくない。あなたが『はい』と答えるなら、本当に困ります。」
そして、いろいろと言い訳をしましたが、神様は何も答えず、結局すべてが無駄だと気付きました。
だから、私は尋ねました。 「では、私に宣教師になってほしいのですか?」
その晩、神様は答えませんでした。それでも、その日がターニングポイントとなりました。心が少し柔らかくなったからです。
それから2~3年後、進路について祈りました。そして、友人たちはこう言いました。 「神様の導きを求めているなら、すべてを神様に捧げなくてはならない。」
帰る途中、神様は再び私の心に語りかけました。 「ブルース、あなたの心には『絶対に日本へ行かない』という思いがあるよ。」
その言葉を聞いて、神様の意味が分かりました。
前年、短い宣教旅行で日本に訪れていました。けれども、その後、こう思いました。 「やっぱり私は日本向きじゃないだろう。」
意識的に「日本には絶対戻らない」と口にしたわけではありませんが、心の中ではそう決めていました。
だから、その夜、もう一度心のすべてを神様に捧げました。
日本で宣教師になったのは、それから24年前のことです。
なぜ、私はこの話をしているのでしょうか。
それは、私の経験がサウロとバルナバの経験に似ているからです。
クリスチャンたちが神様の御心を求めていたとき、神様は彼らに言われました。 「行きなさい。私の目的のために、あなたたちを聖別しています。」
この箇所では、御霊の人格を見ることができます。なぜなら、御霊ご自身が彼らに語られたからです。
さあ、わたしのためにバルナバとサウロ聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい。(使徒の働き13:2)
だから、クリスチャンたちがさらに祈り、断食した後、サウロとバルナバは御霊の導きに従いました。
今でも、神様がなぜ私を呼ばれたのかを考えています。多くの良いことをしてきたと思いますが、これからどのように導かれるのかは分かりません。だから、私の祈りはこうです。 「次の段階は何でしょうか。」
しかし、神様は宣教師や牧師だけを呼ばれるのではありません。あなたも呼ばれています。神様はご自身の目的のために、あなたを聖別されました。
あなたは、その目的をご存知ですか? 神様が望まれることをしていますか?
