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コリント人への手紙第一

聖書の物語の目的

多くのクリスチャンは旧約聖書を避け、新約聖書だけを読みます。なぜなら、新約聖書に最も重要なことが書かれていると考えているからです。

もちろん、新約聖書にはイエス様の十字架の働きや、恵みによる信仰による救いがより明確に記されています。しかし、新約聖書の著者たちは、旧約聖書を不要なものとして捨てたわけではありません。

むしろ、彼らは何度も旧約聖書を引用しました。彼らは旧約聖書から抜粋したり、旧約聖書の出来事について語ったり、その教訓を適用することを教えたりしました。イエス様も、使徒たちも同様でした。

だからこそ、私たちもそうしなければなりません。

10章の冒頭で、パウロはイスラエルの民の荒野の旅を思い起こし、それについて語ります。そして、彼はコリントの人々にこう言いました。

これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。(コリント人への手紙第一10:6)

また、

これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。(コリント人への手紙第一10:11)

パウロは特に偶像礼拝、性的な罪、そして神様への不信について語っています。そして、彼によれば、これらの話を読むとき、私たちはそこから教訓を学ばなければなりません。

実際、どの聖書の話を読んでも、私たちはそうすべきです。不信者のように童話として読むのではなく、また単なる歴史的な物語として読むのでもありません。

むしろ、聖書を読むときには、こう祈るべきです。「神様、あなたは私に何を教えたいと望んでおられるでしょうか。私に何を伝えようとしておられるでしょうか。」

そのような心を持つなら、神様は私たちに教えてくださいます。このブログでは、私はその模範を示そうとしています。ただ事実を述べるのではなく、私たちの人生への適用を教えようとしています。

しかし、私たちは子供たちのためにもそうすべきです。子供たちに聖書の物語を教えることはとても良いことですが、その適用を簡単に説明することが大切です。

例えば、「神様は私たちの必要を満たしてくださいます。」(神様がエリヤに食べ物を与えた話、またはイスラエルの民にマナを与えた話。)

または、「神様に従うことは重要です。」(アダムとエバの話。)

とにかく、忘れないでください。聖書の物語は単なる話ではありません。神様は私たちへの教訓として、そして私たちの益のためにこれらを与えてくださいました。

あなたはこのような視点を持って、聖書を読もうとするでしょうか。