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ヨハネの福音書 ヨハネ7章

聖書を正しく解約する?

前回の記事で、私たちはイエス様がユダヤ人たちに、外見によって裁くことをしないように警告されたことを見ました。

一つ目の理由は、多くのユダヤ人たちが、イエス様があまり教育を受けていないと思い、イエス様の教えを拒絶したことです。

けれども、ユダヤ人たちにはもう一つの問題がありました。それは彼らの聖書の解釈が間違っていたことです。彼らは、安息日に人々を癒すことが罪であると思っていました。なぜなら、彼らは癒すことを仕事だと考えたからです。

しかし、彼らが注意深く聖書を読んでいたなら、安息日に善を行うことが常に正しいと気づいたでしょう。(マタイ12:12)

時には、クリスチャンたちも同じような過ちを犯します。彼らは聖書を読んでいますが、その解釈が間違っていることがあります。なぜそうなるのでしょうか。

時には、その箇所の前後を見逃してしまうことがあります。また、聖書全体のメッセージを理解していない場合もあるかもしれません。

例えば、ヨハネ6章で、イエス様はこう言われました。

人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。(ヨハネ6:53)

その前後を読まないと、それはかなりグロテスクな言葉に聞こえます。けれども、その前後を読むと、私たちはイエス様の意味が分かります。イエス様はたとえを使っておられました。

つまり、もし私たちがイエス様のもとに来て、イエス様を信じるなら、私たちは永遠の命を得るということです。(その箇所についてもっと知りたいなら、ここをクリックしてください。)

私が大学生の時、友達が別の箇所を誤って解釈したことがありました。マタイ26章では、(マルタの妹)マリヤがイエス様の頭にとても高価な香油を注ぎ、イエス様の足に塗りました。すると、弟子たちはマリヤを批判し、こう言いました。

何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。(マタイ26:8-9)

でも、イエス様はこう言われました。

貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。(マタイ26:11)

私の友達がその言葉を読んだとき、こう言いました。「イエス様は本当に偉そうな態度を取っていたね。彼は自分が貧しい者よりも偉いと思っていたから。」

しかし、友達は二つのことを見逃していました。

一つ目は、ヨハネの福音書によれば、最初にマリヤを批判したのはユダであるということです。実際には、ユダは貧しい者を愛していませんでした。むしろ、彼は貧しい者のための寄付されたお金をしばしば盗んでいました。(ヨハネ12:6)

二つ目は、イエス様が申命記から引用されていたということです。

貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。

「国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」(申命記15:11)

だから、イエス様の要点は、貧しい者が重要ではないというわけではありませんでした。イエス様が言われたのはこういうことです。

「貧しい者はいつもあなたたちと一緒にいるのだから、これまで通り助け続けるべきです。とはいえ、私に対する愛を示す機会はすぐになくなります。マリヤはその機会を活用しました。だから、彼女を批判してはいけません。」

そのため、イエス様は偉そうな態度を取られたのではありません。イエス様はマリヤを偽善者による批判から守られたのです。

しかし、聖書の前後を読まなければ、私たちはイエス様の言葉を誤解してしまうかもしれません。

そのため、聖書を読むときは注意を払いましょう。聖書の箇所を読むときは、その前後をしっかりと読みましょう。また、自分が好きな箇所だけを読むのではなく、聖書全体を読むことが大切です。

そうすれば、正確に聖書を解釈することができるようになります。