エサウは、「見てくれ。私は死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」と言った。。。
こうしてエサウは長子の権利を侮った。(創世記25:32~34)
イサクの長子として、エサウは特別な権利を持っていました。彼の遺産はヤコブの二倍だったし、イサクが亡くなった後、エサウは一族の長になるはずでした。
でも、最も大切な権利は、アブラハムとイサクに約束された神との契約の祝福でした。つまり、神との特別な関係です。
しかし、一瞬にして、エサウはその権利を失いました。なぜなら、彼は自分の「肉」に従って、その権利を侮ったからです。
最近の教会の説教で、私は「肉」をこのように定義しました。「本能、欲望、感情、その他すべての、神様から私たちを引き離すもの。」
エサウの場合、お腹を満たすために、彼は長子の権利をヤコブに売ってしまいました。
私たちクリスチャンは、自分の肉に従うことで、神の子供としての権利をどれほど侮っているでしょうか。
神の子供として、私たちはさまざまな祝福を受けています。神との新しい関係、神の子供としてのアイデンティティ、過去からの解放、神の恵みと力へのアクセスなどです。
でも、私たちはそれらを本当に大切にしているでしょうか。
それとも、自分の肉に従うことで、その祝福を侮っているでしょうか。
例えば、神の子供としての祝福の一つは、私たちが霊的な家族に属することです。
でも、できるだけ毎週の日曜日に教会に行こうとするほど、その祝福を大切にしているでしょうか。
それとも、教会を軽く見て、あっさりと自分のやりたいことを選んでしまうのでしょうか。
あるいは、私たちは十字架でイエス様が支払われた代価を軽んじて、自分の罪にふけり、「後で、神様の赦しを願うから」と言う時があるでしょうか。
いろんな意味で、私たちは自分の肉に従って、霊的な権利を侮ることができます。
でも、私はそうしたくありません。
私は肉の流れに逆らい、神の子供としての権利を抱きたいのです。
あなたはどうでしょうか。
