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イザヤ書

穴を塞ごうとする

時々私たちは「私の人生はめちゃくちゃになった」と思って、落ち込みます。

時々私たちの結婚がダメになったり、他の人間関係がめちゃくちゃになったり、私たちの経済が大変になったりします。

だから、私たちはできるだけその穴を塞ごうとします。でも、その穴を塞いでも、すぐに別の穴が現れます。そして、その穴を塞いでも、また別の穴が出てきます。

結局、どうしても私たちの船は沈んでしまうのです。

ユダ人はその状況に入っていました。この箇所では、アッシリヤの軍隊はエルサレムを囲むために来ていたので、ユダ人たちは頑張って準備していました。

彼らは武器を集めていたり、都市の壁を修理していたり、アッシリヤ人が水がないようにエルサレムの外にある泉の水を塞いだりしていました。

でも一番大きな問題を解決しませんでした。それは彼らの罪です。

イザヤはこう書きました。

その日、万軍の神、主は、「泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ」と呼びかけられた.(イザヤ書22:12)

つまり、アッシリヤの攻撃は神様の働きでした。なぜなら、神様はユダ人がもう一度神様に向かうように望んでおられたからです。ユダ人が悔い改めて、もう一度神様を礼拝するように望んでおられました。

でも、彼らはその罪を犯し続けてこう言いました。

飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから。(13)

彼らがイザヤの警告を信じず、イザヤをからかっていたか、彼らが諦めて、「どうしても死ぬ」と思ったか、私は分かりません。

でも結局彼らは神様に立ち返らなかったので、神様は彼らに言われました。

この罪は、おまえたちが死ぬまでは決して赦されない。(14)

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。問題を見る時に解決しようと思うのは良いことです。

でも、私たちの一番大きな問題は神様に背く態度です。その態度を悔い改めないと、私たちの船に穴が出続けます。そして結局私たちは沈みます。

だから、自分の努力と知恵によってその穴を塞ぐことをやめましょう。むしろ、神様に向かいましょう。

罪を悔い改めて、神様の道を歩みましょう。そうすれば、あなたの船はもう沈まずに、新しくなり、どんな嵐に遭っても、あなたは無事に港に着きます。