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創世記のデボーション

 自分の目にある梁を取り除く

朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。

「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなたに仕えたのではありませんか。なぜ、私をだましたのですか。」(創世記29:25)

今朝、上のことばを読んだとき、私は考えました。

「エサウはヤコブのことばを聞いていたら、どれほど笑っただろうか。ヤコブは、自分のことばがどれほど皮肉なものであったかを理解していただろうか。」

そして、私は自分のことを考えました。

先週、私をイライラさせる人について考えていました。

でも、私も同じようなことをしたことがあるでしょうか。たとえ同じことをしていないとしても、私が気づいていない自分の過ちは何でしょうか。

それを考えるとき、イエス様のことばを思い出しました。

あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。

兄弟に向かって、「あなたの目からちりを取り除かせてください」と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。(マタイ7:3~5)

だから、私はもう一度祈りました。「天のお父さん、私を探り、私の心を知ってください。私のうちに、傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:23~24)