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ルカの福音書 ルカ6章

自己満足の問題

イエス様は、貧しい者たちへの神様からの祝福について話された後、金持ちと自己満足な人々に焦点を当てられました。

しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。

いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。

いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。

みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです。(ルカの福音書6:24-26)

それらは、本当に厳しい言葉でした。けれども、イエス様の祝福がすべての貧しい者たちに向けられていたわけではなかったように、この厳しい言葉もすべての金持ちに向けられたものではありませんでした。

むしろ、この言葉は自己満足している人々に向けられたものでした。彼らは気楽に過ごしすぎて、神様のことを必要としていないと感じ、神様とその御国についてほとんど考えていなかったからです。

しかしある日、彼らは自分の富、食べ物、快楽、そして快適な人生が一時的なものであることを理解する時が訪れるでしょう。

その日、彼らは何も持たずに神様の前に立つことになります。そして、神様はこう尋ねられるでしょう。「あなたは私の一人子について聞いたとき、どのように応答しましたか。」

もし彼らがイエス様を拒絶していたのであれば、最終的に彼らは永遠に地獄で過ごすことになるでしょう。

あなたも、同じです。

あなたはどうでしょうか。あなたは神様を必要としていないと思うでしょうか。あなたの人生が幸せで、他には何も必要がないと思っているでしょうか。

多くの人々が大体70〜80年ほど生きることを心に留めてください。その後、彼らは永遠に向かいます。あなたも、永遠に神様と共にいるか、永遠に地獄で過ごすかのどちらかです。

もしあなたが神様を拒絶するなら、この世で楽しんでいたすべてのことは無意味になります。

この世で神様を拒絶するなら、永遠の時代において神様もあなたを拒絶されるでしょう。

けれども、もしあなたが心の王座を神様に譲るなら、あなたはいつか神の国に住むだけではなく、この人生も充実したものになるでしょう。

そしてイエス様のためにこの世で苦しんだとしても、いつか振り返り、「それは素晴らしい人生だった」と言えるでしょう。

イエス様はこう言われました

わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)

あなたは何によって満足するのでしょうか。自分自身でしょうか。あなたの持ち物でしょうか。それとも、あなたを愛し、十字架であなたのために死んでくださった方によって満足するのでしょうか。

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アモス書

自己中心、プライド、自己満足

私はこの箇所を読むと、イエス様のたとえ話の一つを思い出します。

その話では、ある金持ちの畑が豊作でした。そして彼は、その作物を蓄えておく場所がないことに気づきました。

彼はどうしたでしょうか。貧しい人々を助けたでしょうか。その祝福が神様から来たことを理解し、感謝の心を持って周りの人々を助けようと思ったでしょうか。

いいえ、違います。むしろ、彼は自分自身のことだけを考えました。そして、彼はこう言いました。

こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。(ルカ12:18-19)

しかし、神様は彼にこう言われました。

愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。(ルカ12:20)

そして、イエス様はこう言われました。

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。(ルカ12:21)

アモスの時代、イスラエル人はそのような愚か者でした。彼らは自己満足に陥り、金持ちで安心しきっており、たくさんの物を持ち、高慢になっていました。

そのため、彼らは貧しい者のことや、自分たちの罪のことをまったく気に留めませんでした。だからこそ、神様は彼らにこう言われました。

それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。(アモス書6:7)

あなたはどうでしょうか。自分の力でいろいろなことができると思い、高慢になってはいませんか。たくさんの物を持って自慢したり、自己満足に陥ってはいませんか。

そのイスラエル人たちや金持ちのたとえ話のようにならないように気を付けてください。

自分自身だけに焦点を当てるのではなく、神様と周りの人々に焦点を当ててください。

もし神様があなたを祝福されたなら、その祝福には理由があります。その理由は自分自身を喜ばせるためではありません。

その理由は、あなたが周りの人々に対して祝福となることです。そして、あなたが周りの人々に良い影響を与えることなのです。

あなたが金持ちであろうと貧しくても、影響力があってもなくても、神様は自己中心な態度やプライド、自己満足な態度を嫌われます。

神様は私たちに、自分自身に焦点を当てるのではなく、周りの人々に焦点を向けるよう招いています。また、神様は私たちが周りの人々に対して、神様の目、口、手、そして足となるように招いているのです。

神様、自己中心になるのは簡単です。どうか赦してください。

私に与えられている物は私のものではありません。それらは本当にあなたのものです。

どうかその真理をいつも心に留められるよう私を助けてください。自分自身に焦点を当てず、あなたに、そして周りの人々に焦点を向けられるよう助けてください。

私が自分自身のためではなく、あなたの御国のために生きることができるよう導いてください。アーメン。