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テモテへの手紙第ー

良心に逆らうとき

私たちの良心は、神様からの賜物です。

神様はクリスチャンにも、ノンクリスチャンにもこの賜物を与えてくださいました。

良心を通して、私たちは道徳的な判断を持つことができます。もし良心が与えられていなかったなら、この世界は今よりもはるかに混乱した場所になっていたことでしょう。

けれども、問題なのは、私たちの良心が完全ではないという点です。むしろ、私たちの良心は罪によって汚されてしまっています。

けれども、私たちがクリスチャンになると、聖霊が心に語りかけ、私たちの内面を形づくり始めてくださいます。

そして、その御声に従えば従うほど、私たちはますますイエス様に似た者とされていくのです。私たちは、そのようであるべきです。

残念ながら、テモテの時代には、聖霊が偽教師たちの良心を刺されたとき、彼らはその御声と自らの良心を無視しました。むしろ、彼らは自分の良心に逆らい、自らの信仰を破ってしまいました。

彼らは福音の真理を守らず、お金や威信に執着し、その結果、信仰も教えもねじ曲げてしまったのです。

そのような状況の中で、パウロはテモテにこう語りました。

私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言にしたがって、私はあなたにこの命令を委ねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです。

ある人たちは健全な良心を捨てて、信仰の破船にあいました。その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。

私は、神を冒瀆してはならないことを学ばせるため、彼らをサタンに引き渡しました。(テモテへの手紙第一1:18-20)

パウロはテモテにこう語りました。

「偽教師たちの模範に倣ってはならない。福音のために戦い抜きなさい。この偽教師たちに対して、福音のために立ち向かいなさい。そして、あなたが教えられてきた福音の真理を保ちなさい。健全な良心もまた守り続けなさい。」

実はその前にも、パウロはこれと似たことを語っていました。

この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。(5)

つまり、「きよい心」「健全な良心」「偽りのない信仰」から生まれる愛こそが、私たちの目指すべきゴールです。ですから、これらを保ち続ける必要があります。

しかし、パウロによれば、ある人々は健全な良心を捨ててしまいました。ヒメナイとアレクサンドロという人物は、良心に逆らったために信仰の破船にあってしまいました。

そして今でも、多くの人々が同じような過ちを犯しています。

中にはこう言う人もいます。「私は恵みによって救われたから、好きなように生きても大丈夫。あとで赦しを祈ればいいんだ」と。こうした人々は、自分の良心に背いて生きているのです。

けれども、彼らは非常に重要な真理を見落としています。それは、神様は私たちを単に救っただけでなく、清い人生を歩むように呼んでおられるということです(第一テサロニケ4:1ー8)。

ある人々は、聖書が悪と呼ぶ行為を善だとみなします。

そのため、自らをクリスチャンと称しながら、同性愛的な生活を選ぶ人もいます。彼らは聖書が同性愛について何を教えているかを知っていながら、その罪とこれ以上戦いたくないと思っているのです。

その結果、彼らはこの点において、聖書の教えを曲げてしまいます。

福音と同性愛に関する聖書の教えは、昔から一度も変わったことがありません。それでも、良心に反して生きる人々が増えており、結果として信仰の破船に至るのです。

ヒメナイとアレクサンドロも、「私たちはキリストを否定する」と言ったわけではありません。むしろ、「私たちはキリストの教えを受け入れている」と言いながら、実際には福音そのものを曲げてしまいました。

そのように、今日でも、多くの人が自分をクリスチャンと名乗りながら、良心に逆らって福音を変えてしまっているのです。

自らの良心に背くことは、非常に危険なことです。そうするならば、やがて福音と聖書の教えを曲げてしまうことになるからです。

私たちはそのような歩みを避けましょう。むしろ、パウロが命じたように、信仰と健全な良心を保ち、何よりも、主を喜ばせることを第一に心がけて歩んでいきましょう。