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創世記のデボーション

わずかで、いろいろなわざわいがある

 ファラオはヤコブに尋ねた。「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」

ヤコブはファラオに答えた。「私がたどってきた年月は百三十年です。

私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」(創世記47:8ー9)

ヤコブの言葉を読んで、私はモーセの詩篇を思い浮かべました。

もしかしたら、モーセが詩篇90篇を書いたとき、このヤコブの話を考えていたのかもしれません。

ヤコブは、辛い時も経験しました。ある問題はヤコブ自身のせいで起こりました。例えば、ヤコブが父と兄を騙したことで、さまざまなトラブルがヤコブに降りかかりました。

そのあと、神様はヤコブに騙される痛みを教えられました。ヤコブの息子たちの嘘によって、ヤコブは20年間ヨセフが亡くなったものと思っていました。

ヤコブの人生は、アブラハムやイサクと比べると短いものでした。(創世記25:7、35:28)

しかし、その短い人生の中で、ヤコブはいろいろな試練に臨みました。

モーセの時代には、人間の寿命はさらに短くなっていました。それでも、ヤコブはモーセの言葉に同意したことでしょう。

私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。(詩篇90:10)

しかし、人生の終わりに、ヤコブは神の忠実な愛と恵みを見ました。(詩篇90:14)

神様は、ヤコブが苦しみとわざわいを経験することをお許しになりましたが、ヤコブは自分の人生に神様の御業と威光を見出しました。(詩篇90:16)

また、ヤコブは自分に対する神様の素晴らしい慈愛を見ました。(詩篇90:17)

私たちも旅の途中です。

この世は、私たちの住まいではありません。

この旅は短く、私たちは悲しみや苦労に臨むことがよくあります。

それでも、神様から目を離さず、私たちに対する神の忠実な愛と恵みを覚えていましょう。

そして、毎日、モーセとともに祈りましょう。

どうか教えてください。自分の日を数えることを。 そうして私たちに 知恵の心を得させてください。(詩篇90:12)