以前にも述べましたが、黙示録に記された手紙の目的は、教会を、反キリストたちや、迫り来る試練に備えさせることです。
あなたは、クリスチャンが最後の反キリストや大患難時代を経験しないと信じているかもしれません。実際、多くのクリスチャンがそう信じています。
けれども、黙示録やその他の新約聖書を読むかぎり、私はその見解に同意できません。何度も、イエス様や使徒たちは、私たちがさまざまな苦難に直面すると警告しています。とりわけ、彼らは私たちが反キリストと向き合うことになると告げています。
私は、クリスチャンが大患難時代を完全に回避できるという約束を聖書の中で見たことがありません。
私が信じるのは、私たちが反キリストや大患難時代に直面するとしても、神様は決して私たちを見捨てないということです。また、その患難の時は一時的なものであると信じています。
だから、私たちがどんな試練に直面しても、神様は私たちが神様にしがみつくように促してくださいます。
今日の箇所では、その真理を余すところなく見ることができます。イエス様は、スミルナという都市の教会に語りかけます。ご自身を紹介されるとき、イエス様は、「初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方」と呼ばれます(8節)。
興味深いのは、スミルナという都市もまた「死んでよみがえった」経験を持っていることです。紀元前600年に一度滅びましたが、紀元前290年に再建されました。
スミルナのクリスチャンたちは、イエス様のために迫害や処刑に直面しました。だからこそ、イエス様は彼らを励まされたのです。「何が起ころうとも、私はすべてのことを支配しています。私は初めであり終わりである者なのですから。」
つまり、神様の言葉によって、すべてのものは造られ、神様の言葉によって、人間の歴史は閉じられます。
さらに、イエス様は死に打ち勝たれました。死に直面するクリスチャンたちも、イエス様のように復活し、永遠のいのちを受けるという確信を抱いていました。
だからこそ、イエス様は彼らにこう語られました。
わたしは、あなたの苦難と貧しさを知っている。だが、あなたは富んでいるのだ。ユダヤ人だと自称しているが実はそうでない者たち、サタンの会衆である者たちから、ののしられていることも、わたしは知っている。(黙示録2:9)
彼らはユダヤ人たちから迫害を受けていたようです。そのユダヤ人たちは、ローマ帝国の支配者たちにこう訴えました。
「キリスト教はユダヤ教の一部ではありません。実際、クリスチャンの中には多くの異邦人がいます。あなたの律法によれば、私たちユダヤ人は皇帝を礼拝する必要はありません。けれども、彼らは異邦人なのだから、皇帝を礼拝しないなら、処刑しても構いません。」
こうして、ローマ帝国はクリスチャンたちへの迫害を始めました。
しかし、イエス様は彼らにこう語られました。「ユダヤ人たちは、あなたが真のユダヤ人ではないと主張します。けれども本当は、あなたこそが真のユダヤ人です。あなたこそがアブラハムの真の子孫です。なぜなら、アブラハムのように、あなたは信仰によってわたしのもとに来たからです。
それどころか、彼らは偽りのユダヤ人であり、彼らの会衆は神の会衆ではなく、むしろサタンの会衆なのです。」
そしてイエス様は彼らに語れました。「心配するな。あなたたちは決して迫害を経験しません。私は迫害からあなたたちを救い出します。」
イエス様はそう語れたでしょうか。違います。逆に、イエス様はこう言われました。
あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。(10)
言い換えると、こうです。「あなたは苦しむことになる。だが恐れるな。サタンはあなたに大きな試練を与えるだろう。けれども、その試練は永遠には続かない。しばらくの間は続くが、やがて終わるのだ。」
この言葉は、当時の人々だけのためではありません。これは、私たち自身のためであり、反キリストに直面するクリスチャンたちのためでもあるのです。私たちは苦しみに向かっていきます。それでも、イエス様によれば、その苦しみはほんの一瞬なのです。
だからこそ、イエス様は私たちにこう言われます。
死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。
耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。(10b-11)
イエス様がこの世におられたとき、同じようなことをご自分の弟子たちに語っておられました。イエス様はこう言われました。
からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。(マタイ10:28)
私たちが神様を畏れるなら、ほかのものを恐れる必要はありません。死さえも、恐れる必要はないのです。なぜなら、人々は私たちのからだを殺すかもしれませんが、魂を滅ぼすことはできないからです。
イエス様によれば、私たちは第二の死、すなわち地獄を経験しません。むしろ、私たちは永遠に、天においてイエス様と共にいるのです。
あなたはどうですか。あなたは、自分の信仰ゆえに迫害を受けていますか。それが、ひと時の苦しみにすぎないことを覚えていましょう。人々があなたに何を言っても、あなたを傷つけても、魂に触れることはできません。
だからこそ、忠実でいましょう。たとえあなたが死んでも、あなたは生きるのです。(ヨハネ11:25)