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クリスマスの12日

クリスマスの4日目

そこでラケルは、「神は私をかばってくださり、私の声を聞き入れて、私に男の子を与えてくださった」と言った。

それゆえ、彼女はその子をダンと名づけた。(創世記30:6)

結婚式の夜、ラケルはレアにヤコブを奪われました。しかも、ヤコブはその後ラケルとも結婚し、レアよりもラケルを愛していました。 それでも、レアにはすでに4人の息子がいたのに対し、ラケルにはまだ子どもがいませんでした。

そこで、ラケルは自分の女奴隷をヤコブに差し出しました。ヤコブはビルハと関係を持ち、その子どもたちはラケルの子どもとして認められました。

ヘブライ語では、「ダン」は「裁く」や「正当化する」を意味する言葉に聞こえます。

神様が実際にレアとラケルの間で、どちらに有利な判断をくだされたのかは、本当に分かりません。

しかし、神様がイエス様を信じる私たちに有利な判断を下されたことは確かです。

だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。(ローマ8:33-34)

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詩篇

裁判官の役割を神様に委ねる

ダビデの人生を見ると、彼が神様に裁判官の役割を委ねたことが分かります。彼はめったに復讐しようとはしませんでした。

(唯一の例外はナバルの話です。その時、ナバルの妻アビガイルがダビデにナバルを殺さないように願わなければなりませんでした。ダビデはその願いを聞いて、復讐しないことに決めました。)

詩篇7篇では、彼のそのような態度を見ることができます。ある人々がダビデを殺そうと思いましたが、ダビデは自分自身とその敵を神様の手に委ねました。また、裁く役割を神様の手に委ねました。ダビデはこう書きました。

主よ。御怒りをもって立ち上がってください。私の敵の激しい怒りに向かって立ち、私のために目をさましてください。あなたはさばきを定められました。

国民のつどいをあなたの回りに集め、その上の高いみくらにお帰りください。主は諸国の民をさばかれる。

主よ。私の義と、私にある誠実とにしたがって、私を弁護してください。(詩篇7:6-8)

どうしてダビデはその裁きを神様の手に委ねることができたのでしょうか。なぜなら、彼は心と思いを調べられる神様が正しく裁いて、悪者を罰されると確信していたからです。(9)

そして、ダビデは賛美でこの詩篇を終えました。

その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。(17)

ダビデのように、私たちは心と思いを調べられる神様に信頼し、その神様に裁きを委ねましょう。

復讐の思いは私たちを食い尽くし、私たちの喜びを奪います。しかし、正しく裁かれる神に裁きを委ねると、苦しみの中でも、私たちは喜びと平和を見つけることができます。