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コリント人への手紙第二

要塞を打ち倒す力

私たちはこの世を見れば見るほど、サタンが自らの要塞を私たちの文化の中に築いていることに気づきます。

アメリカでは過去10〜20年の間に道徳観が悪化しつつあります。また、日本では、サタンの強い霊的な要塞の影響により、多くの人々が霊的な暗闇の中で生きています。

あるクリスチャンは、それを見て失望し、あきらめたいと思います。

また、別のクリスチャンは、サタンが私たちの文化の中で行ったことに怒りを感じます。そして、この世の人々のように、彼らは怒りと憎しみを抱き、暴力的な態度で撃退しようとします。

しかし、私たちはそのような戦い方をしてはいけません。それは、サタンの要塞を正しく打ち倒す方法ではありません。

パウロはコリントの教会で、さまざまな要塞に直面しました。偽教師によって築かれた要塞、分裂の要塞、そして神様とパウロに対する反抗的な態度という要塞がありました。

では、パウロはどのように反応したでしょうか。

パウロは柔和さと優しさをもって対応しました。彼に反対する人々を打ち負かそうとはせず、むしろ、柔和な心を持ち続けました。

もちろん、パウロが強気になることもありました。だからこそ、彼はコリントの人々にこう言いました。「あなたがたが悔い改めないなら、私は強く振る舞い、大胆に行動します。」

しかし、それが彼の望みではありませんでした。

大胆に振る舞わなければならない時でさえ、パウロは人々を打ち倒そうとは思いませんでした。むしろ、彼らを建て上げたいと願っていたのです。

そして、パウロはサタンの要塞を攻撃する方法について語りました。彼は言いました。

私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。(コリント人への手紙第二10:3)

あるクリスチャンは「毒をもって毒を制す」という態度を取ることがあります。

また、社会の悪化を食い止めるために政治の手段を用いるべきだと考える人もいます。

誤解しないでください。クリスチャンとして、私たちは政治に関与すべきです。政治から手を引くべきではありません。しかし、政治を通じて人の心を変えられると考えるなら、それは誤りです。

クリスチャンの価値観が社会に根付けば、状況は改善されるかもしれません。けれども、政治には人の心を変える力はありません。

もし長期的な変化を望むなら、個々のクリスチャンが周囲の人々と関わるべきです。また、神様が与えてくださった霊的な武器を用いなければなりません。

パウロはこう言いました。

私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。(4)

その武器は何でしょうか。基本的に、それは神の御言葉と祈りです。私たちは人々に神の御言葉を伝え、彼らのために祈るべきです。

御霊が私たちの内で、また私たちを通して働かれるとき、私たちは御言葉と祈りの持つ力によって人が変えられるのを目の当たりにします。

御霊を通して、

私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。(5)

最終的に、政治や議論によって人の心を変えることはできません。むしろ、神様こそが人の心を変えることのできる方です。

だから、私は二つの質問を投げかけます。

1.私たちは、サタンの要塞を打ち倒す戦いに参加しているでしょうか。

2.もしそうなら、どんな武器を持って戦っているでしょうか。