この箇所を読むと、他のソロモンの言葉を思い出します。
あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。(箴言5:18-19)
この箇所では、ソロモンは自分の意見に従います。結婚して以来、時間が経ちましたが、ソロモンはまだ妻に見とれています。実は、以前よりも、彼は妻に見とれています。
妻に関して、以前言った比喩を使いますが、新しい比喩も使います。彼は彼女をティルツァとエルサレムという都市と比べます。
都市の美しさ全てを発見するために時間をかけて巡らなくてはならないように、妻(また、夫)の深さを発見するためには時間がかかります。それは一生のプロセスです。
ソロモンは妻に「あなたの目はまだ私をひきつける」と言います(雅歌6:5)。
私はその感じがよくわかります。私の妻の目にその愛を見る時、私も引きつけられます。
そして、ソロモンは彼女に「あなたは私の汚れのないものだ」と言います(9)。
時間が経つと、実は私たちは妻と夫が本当に完璧ではないと分かるようになります。しかし、愛の目は、その過ちを見逃します。それに、そのあなたの愛の目によって、相手の魂が今よりも美しくなります。
8節の言葉のため、ある学者は、ソロモンがすでに他の妻と側室がいると考えています。そうかもしれません。または、彼は仮定条件について考えているのかもしれません。
いずれにせよ、彼のポイントは、彼の人生にいる女性の中で、妻が一番大事だということです。
そして、ソロモンが仕事をしているとき、彼はすぐに妻のことを考え始め、なるべく早く家に帰りました。(11-12)
それは良い態度だと思います。もちろん仕事は大切ですし、その仕事を楽しむことができるなら、それは本当に良いことです。それでも、夫は仕事よりも妻を愛するべきです。夫が妻よりも仕事の方が好きなら、それは悪いことです。
もちろん、妻が仕事を夫よりも愛することも悪いことです。
あなたはどうですか。あなたはまだ、妻や夫に見とれていますか。それは理想だけではありません。そのような愛はただの夢ではありません。それは、もともとからあなたと伴侶のための神様の計画です。
