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詩篇

私たちの信頼にふさわしい神

多くの場合、私たちは人々にがっかりさせられます。私たちは彼らの助けと励ましを期待しますが、結局彼らはそうしてくれません。

だから、詩人はこう書きました。

君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。(詩篇146:3)

イスラエルの歴史の中で、彼らは敵に脅されたとき、神様の助けを求めずに、周りの国々の助けを求めました。

その結果は何でしたか。その国々はイスラエルを裏切りました。または、彼らは最終的にイスラエルを助ける力がありませんでした。

だから、その時代の預言者たちのように、詩人はこう言いました。

幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。

主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り【ます】。(詩篇146:5-6)

しかし、神様は王たちやその王国だけを見守っておられるわけではありません。神様はご自身を愛する、苦しんでいる人々のことも見守っておられます。

神様は、抑圧されている人々、飢えている者、囚人、盲人、在留異国人、やもめ、みなしごと共におられます。彼らが苦しむことがあっても、神様は決して彼らを見捨てることはありません。そして、彼らの必要に備えてくださいます。

以前も述べたように、神様は無限の方であるだけでなく、私たちと共におられ、私たちを愛してくださいます。

ですから、あなたが苦しんでいる時も、そうでない時も、この無限であり、私たちを愛しておられる神様に近づきましょう。

そして、イザヤの言葉を心に留めておきましょう。

[神様]を信じる者は、あわてることがない。(イザヤ28:16)


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詩篇

私たちを見守る神

詩篇121篇は本当に美しい詩篇です。私の父が生前、この詩篇が大好きだったので、彼が亡くなった時、葬式でこの詩篇が読まれました。

この詩篇では、詩人は主に対する信頼を言い表しています。彼は歌います。

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

私の助けは、天地を造られた主から来る。(詩篇121:1-2)

120篇のように、これは都上りの歌です。人々はエルサレムに巡礼するときにこの歌を歌いました。

だから、彼らが目を上げてエルサレムを見るとき、心の中で喜びが湧いてきたことが想像できます。なぜなら、神様がソロモン王に約束したように、神様の臨在は主の宮にあったからです。(列王記9:4)

もちろん、主の宮は神様をお入れすることはできませんでした。ソロモンもそのことを認めました。

でも神様は、宮に来てイスラエル人に会うように約束してくださいました。また、彼らが宮に向かい、祈るとき、神様はその祈りに答えるように約束してくださいました。

だから、人々がエルサレムに巡礼したとき、決して眠らない神様が彼らを見守ってくださることを思い出して、慰められました。

暑い日には、神様は彼らの陰でした。また夜には、神様は彼らを守ってくださいました。

それだけでなく、彼らの人生を送る間に、神様が彼らと共におられることを思い出していました。

だから、詩人はこう歌いました。

主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(7-8)

私たちもその言葉によって慰められましょう。何が起きても、神様はあなたを「耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。」(第一コリント10:13)

私たちがこの世界に生きる間に、神様は私たちを見守ってくださいます。そして、私たちを栄光に導いてくださるのです。

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詩篇

神様が私たちの中に住んでおられると

多分、エルサレムが攻撃された後に、詩篇48篇は書かれたと思われます。そして詩人は、神様がエルサレムを守ってくださるために、神様の偉大さをほめたたえます。

その詩人は歌います。

主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。その聖なる山、われらの神の都において。(詩篇48:1)

エルサレムにある山シオンの美しさを讃えた後、詩人は歌います。

神は、その宮殿で、ご自身をやぐらとして示された。

見よ。王たちは相つどい、ともどもにそこを通り過ぎた。

彼らは、見るとたちまち驚き、おじ惑って急いで逃げた。(3-5)

そして、詩人は歌います。

私たちは、聞いたとおりを、そのまま見た。万軍の主の都、われらの神の都で。神は都を、とこしえに堅く建てられる。(8)

この詩篇から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

神様がご自身の住まいを見守ってくださったように、私たちを見守ってくださいます。

神様はもうある都市の宮におられるわけではありません。(実は、エルサレムの宮は本当は神様の家ではなかったのですが、その時、神様はご自身の臨在をその宮で示されました。)(列王記第一8:27;9:3)

今、神様はご自身の民の心の中におられます。

だから、私たちの敵、つまりサタンが私たちを攻撃するとき、私たちが神様に信頼するなら、神様は私たちを堅く建ててくださいます。

だから困る時に、恐れずに神様の恵みを思い巡らしましょう。(9)

神様の目には、私たちは神様の美しい宮であり、神様の喜びであり、神様の貴い子供たちです。だから、神様はいつも私たちを見守ってくださいます。

そして、神様からの救いを見ると、神様の慈しみに感謝しましょう。また、それを覚えておきましょう。

この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちをとこしえに導かれる。(14)

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ゼカリヤ書

全てを見守ってくださる神

この箇所では、神様がイスラエルを見守っておられることがよくわかります。また、神様がどのようにアレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)を通して、シリアとツロとシドンとペリシテを裁いてくださったかわかります。

けれども、ゼカリヤが書いたのは、歴史について書いたのではありません。むしろ、預言が書かれました。

この預言は、具体的にアレクサンドロスの軍事行動の道を説明しています。

彼はシリアのハマテとダマスコから始めました。そして、ツロとシドンを征服しました。アッシリヤ人とバビロン人は以前ツロを攻撃しましたが、征服できませんでした。しかし、7か月で、アレクサンドロスはツロを征服しました。

そのあとで、アレクサンドロスはペリシテを征服しました。つまり、アシュケロン市とガザ市とエクロン市とアシュドデ市を征服しました。彼はその君主制を終わらせ、その民を追放し、彼らの代わりに他の民族をペリシテに連れて行きました。

けれども、第8節で神様はこう言われます。

わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所に立つ。それでもう、しいたげる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。(ゼカリヤ書9:8)

神様はその約束を守られました。アレクサンドロスはいろいろな所を征服しましたが、エルサレムとその民を助命されました。

聖書の中には書いていませんが、ユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスはこの話を記録しています。

アレクサンドロスがエルサレムに近づいたとき、神様は夢で大祭司にこう言われました。「恐れるな。エルサレムの門を開けて、アレクサンドロスを迎えに行きなさい。」

大祭司は、紫と金色の服を着て、アレクサンドロスを迎えに行きました。他の祭司たちは白い服を着ました。アレクサンドロスが彼らを見たとき、彼は大祭司に近づいて、大祭司のかぶり物に付けられた純金の札に口づけしました。

そして、アレクサンドロスは見た夢について話しました。その夢で、祭司の服を着た人を見ました。その人はアレクサンドロスに「アジアを超えて、ペルシャを征服しなさい」と言われました。

だから、アレクサンドロスはユダヤ人たちが自分の律法を守ることを許したし、ユダヤ人は7年間ごとに税金を払わなくてもよかったのです。

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。神様はすべてのことを見て、コントロールしておられることです。もし、神様に背くと、あなたは裁かれます。しかし、神様の前にへりくだると、神様はあなたを守ってくださいます。

神様がユダヤ人を守られたように、神様は私たちを守ってくださいます。

ダビデはこう書きました。

主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。

幸いなことよ。彼に身を避ける者は。(詩編34:7-8)