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コリント人への手紙第一

私たちは世にどう映るのか

アメリカでは訴訟が日常茶飯事となっています。どんなに理不尽な訴えであっても、人々は相手を訴えることがあります。

アメリカと比べると、日本では訴訟の件数はそれほど多くありませんが、それでも相手を訴える人はいます。

コリントのクリスチャンたちの間でも、多くの訴訟が行われていたようです。パウロはそれを見て、二つの点に困惑しました。

一つ目は、兄弟姉妹が故意に罪を犯していたことです。二つ目は、傷ついた兄弟姉妹が相手を訴えていたことです。

さらに、傷ついた者自身が「毒をもって毒を制す」ように、相手に対して悪事を働いてしまいました。

そこで、パウロは彼らに次のように語りました。

それどころか、あなたがた自身が不正を行い、だまし取っています。しかも、そのようなことを兄弟たちに対してしています。

あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。

淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をするもの、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することが出来ません。(コリント人への手紙第一6:8-10)

要するに、自分自身を欺いてはいけないということです。たとえクリスチャンを自称していたとしても、悔い改めることなく罪を犯し続けるなら、神の国を相続することはできません。

ある人は、パウロが救いを失った人について語っていると考えます。けれども、そのような人はそもそも真のクリスチャンではなかったのではないでしょうか。

とはいえ、パウロはコリントの人々が本物のクリスチャンであることを前提としています。だから、パウロは次のように語りました。

あなたがたのうちのある人たちは、以前はそのような者でした。

しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(11)

つまり、「あなたたちは神様に清められ、神様のために聖別されました。あなたたちは新しく造られた者となったのです。それなのに、どうして兄弟姉妹をこのように扱うのでしょうか」ということです。

そして、クリスチャン同士の訴訟について、パウロは次のように語りました。

「やがて、あなたたちは世界の人々を裁くことになるのです。さらに、天使たちをも裁く立場となるでしょう。それならば、どうしてこんな些細な問題すら解決できないのでしょうか。」(2~5節)

けれども、パウロが本当に怒ったのは、コリントの人々が自らの恥をノンクリスチャンの前にさらしてしまったことです。それを目の当たりにしたノンクリスチャンは、こう問いかけます。

「クリスチャンとは、そのようなものなのですか?結局、私たちと変わらないのではないですか?彼らも互いに傷つけ合っているではありませんか。」

要するに、彼らの罪は教会の汚点となってしまったのです。

だから、パウロは次のように語りました。

そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。

どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。

どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか。(7)

コリントの人々は二つの点で敗北してしまいました。

一つ目は、彼らがサタンと戦うことなく、互いに争い合ってしまったことです。

二つ目は、彼らの評判が損なわれてしまったことです。

イエス様は次のように語られました。

互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハネ13:35)

しかし、私たちは教会でそのように行動しているでしょうか。それとも、互いに争い合い、サタンに勝利を許してしまっているのでしょうか。