このポストのタイトルは「人に愛されること」ですが、実は、クリスチャンにとっては、それが私たちの一番の目的ではありません。私たちの目的は神様を喜ばせることです。
けれども、聖書では、イエス様についてこう書いてあります。
イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。(ルカ2:52)
人にイエス様が愛されたように、私たちはどうすれば人に愛されるでしょうか。ソロモンは、箴言25章で良いアドバイスを与えてくれます。
まず、相手に敬われることを求めないべきです。もし彼らがあなたを敬うなら良いですが、その敬いを求めない方が良いです。
ソロモンはこう書きました。
王の前で横柄ぶってはならない。偉い人のいる所に立っていてはならない。
高貴な人の前で下に下げられるよりは、「ここに上って来なさい」と言われるほうがよいからだ。(箴言25:6-7)
イエス様はパリサイ人にも同じことを言われました。(ルカ14章)
そして、ソロモンは言います。
あまり多くの蜜を食べるのはよくない。しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。(27)
ヘブル語の文字通りに、その最後の部分は「自分の栄光を求めるのは、栄光ではないです。」という意味です。
その意味が微妙なため、さまざまな翻訳があります。多くの英語の聖書は「自分の栄光を求めるのは、良いことではありません。」と翻訳しています。
日本語のリビングバイブルの訳者も、ほぼ同じように翻訳しています。
どんなに良い食物でも、食べすぎは体に毒です。同じように、人にほめられるのはすばらしいことですが、それを意識しすぎるのはよくありません。(箴言25:27)
とにかく、皮肉なことに、私たちが謙虚な態度を持つなら、最終的に、人々は私たちを敬い、神様は私たちを誉めてくださいます。
ソロモンは続けて言います。
あなたがその目で見たことを、軽々しく訴えて出るな。
そうでないと、あとになって、あなたの隣人があなたに恥ずかしい思いをさせたとき、あなたはどうしようとするのか。(箴言25:7-8)
つまり、怪しいことをする人を見た時、すぐに訴えない方が良いです。なぜなら、彼らは自分の行動をちゃんと弁解できるかもしれないからです。
早とちりして訴えたら、結局あなたが恥をかいてしまうかもしれません。
さらに、ソロモンはこう言います。
あなたは隣人と争っても、他人の秘密を漏らしてはならない。
そうでないと、聞く者があなたを侮辱し、あなたの評判は取り返しのつかないほど悪くなる。(9-10)
時々、私たちの友だちは内緒で他の人について話します。そして、その言葉によって、私たちはその人を訴えます。けれども、そうすると、三つのことが起こるかもしれません。
一つ目は、その友達が相手を怖がって、あなたの言葉を否定するかもしれません。
二つ目は、あなたがその内緒で言った言葉をばらしたので、多分その友達はあなたに怒るでしょう。
三つ目は、相手を訴えるのに、あなたには証拠がないので、結局あなたが恥をかくかもしれません。
だから、人に愛されたいなら、すぐに訴えたり、人の内緒をばらしたりするべきではありません。
ソロモンは続けて言います。
あなたの言葉によって、人を助け、励ました方が良いです(11)。
その反面、相手が愛によってあなたを叱責するなら、へりくだってその言葉を受け入れるべきです(12)。
職場や他の場所で忠実に仕え(13,19)、自分の約束を守り(14)、正直に言うべきです(18)。
意見を与える時、忍耐を持って柔和な態度を持つべきです(15)。
隣の人を訪れる時、気を利かせて、彼の時間を取りすぎてはいけません(17)。
相手が苦しんでいるとき、彼らの感情に敏感になりましょう(20)。
最後に、自分の言葉に注意するべきです。また、あなたは自制するべきです(28)。
そうすれば、あなたは人々に愛されます。
周りの人々はあなたについてどう考えるでしょうか。