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詩篇

私たちを試みに会わせないように

詩篇140篇では、主の祈りのように、ダビデは「悪からお救いください」と祈りました。

詩篇141篇も、主の祈りに似ている点があります。この詩篇では、ダビデは祈りました。

私たちを試みに会わせないように。(マタイ6:13)

特に、ダビデはこう祈りました。

主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。

私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。(詩篇141:3-4)

ダビデは二つのことを気にしました。つまり、彼の言葉と思いを気にしました。

最初に、彼は祈りました。「私の口から悪い言葉が出ないように」

多くのクリスチャンは口の罪と戦います。彼らは文句を言ったり、噂をしたり、人々を傷つけたりします。私もそんな罪と戦います。時々その誘惑に負けてしまうこともあります。

でも、ダビデは自分の思いも気にしました。彼は祈りました。「私の心を悪いことに向けさせないように。私は悪者の生活を見たら、彼らをねたまないように。」

もし私たちが罪について考えて、悪者をねたんだら、罪に落ちるのは簡単なことです。

イエス様は私たちの思いについて注意を促されました。イエス様が言ったのは、もし私たちが心の中で兄弟に対する怒りを抱いたら、心の中で彼らを殺したのと同等であるということです。(マタイ5:21-22)

また、

だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。(マタイ5:28)

神様は私たちの行いだけでなく、私たちの心や思いも気にされます。ダビデはそのことを知っていたので、神様に彼の口と心を守ってくださるように祈りました。

そして、彼は謙遜な態度と柔らかい心のために祈りました。彼はこう祈りました。

正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。(詩篇141:5)

私たちの多くは、責められるのが嫌いです。でも、ダビデは、それを注がれる癒しの油のように受け入れました。

ダビデがバテ・シェバの夫を殺し、彼女と結婚したとき、預言者ナタンは彼を厳しく責めました。ダビデにとって、その言葉は本当に苦しかったと思います。

しかし、彼はその言葉を受け入れて、悔い改めました。だから神様は彼を赦してくださいました。

これは誘惑と戦うカギの一つです。私たちは神様の懲らしめを受け入れなくてはなりません。神様が私たちを責めるとき、私たちは柔らかい心が必要です。そして、悔い改めなくてはなりません。

この詩篇の終わりで、ダビデはもう一度、神様が彼を敵から救い出すように祈ります。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6:13)