カテゴリー
マタイの福音書 マタイ7章

山上の説教:語るべき時、黙るべき時

前回の記事で私は書きましたが、イエス様は私たちに、偽善的に裁いてはいけないと注意されました。しかし同時に、イエス様は私たちが罪を犯す人を叱責すべきだとも教えておられます。

とはいえ、相手を叱責するとき、もう一つの重要なことに注意するべきです。それは、あなたは誰を叱責しているのかということです。

イエス様はこう言われました。

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。(7:6)

イエス様が意味されたのは、あなたが相手を叱責しても、聞いてくれない人もいるということです。

その場合、あなたが話しても、それは無駄になってしまいます。なぜなら、彼らは神様からの言葉を聞こうとせず、あなたが叱責しようとすると、逆にあなたを攻撃するからです。

そのため、イエス様は、そのような人には何も言わない方が良いと教えられました。

ソロモンもほぼ同じことを語っています。

あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。(箴言9:8)

その真理を福音を伝えることに当てはめることができます。

あなたが福音を伝えるとき、あなたをあざける人もいるでしょう。そのような人は、神様の手に委ねる方が良いです。なぜなら、あなたは自分の役割をすでに果たしたからです。その責任は相手のものになりました。

あなたには、福音の真珠を彼らに投げ続ける必要はありません。

福音をあざける人を見るのは苦しいことです。また、神様のみ言葉に心を固くする人を見るのは辛いことです。

しかし、あなたがみ言葉を伝えて相手がその言葉を拒否した場合、あなたにできることはその人のために祈ることだけです。あなたではなく、神様だけがその人の心を変えることができるのです。

あなたは、今、誰に真珠を投げているでしょうか。