カテゴリー
ガラテヤ人への手紙

豚小屋に戻る?

この手紙の中で、パウロは、救いを得るためには神様の律法にも従わなければならないと考える人々に語っています。

もちろん、パウロは彼らの考えに同意できませんでしたが、彼らの懸念の一つには共感できました。それは、もし私たちがもはや律法の下にないのなら、好き勝手に生きても構わないのではないかという誤った考え方です。

あるガラテヤ人たちは、「もし私たちが律法の下にないのなら、自分のために生きてもいいだろう。恋人と寝てもいいし、娼婦と寝てもいいだろう。どんな罪を犯しても構わないだろう」と考えました。

そのため、パウロはこの考え方について語ります。

兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。(ガラテヤ人への手紙5:13)

パウロは言いました。「あなたがたは自由を与えられるために召されました。」

では、神様は私たちを何から自由にされたのでしょうか。

まず、神様は私たちを律法から自由にしてくださいました。神様の子として受け入れられるために、私たちは律法に完全に従う義務を負う必要はありません。また、神様の子供として、私たちが失敗しても、神様の裁きから解放されています。

けれども、神様は私たちをもう一つのものからも自由にされました。それは、私たちを滅ぼす罪深い生活です。クリスチャンになる前、私たちは罪の豚小屋に暮らしていました。そして、自分の罪深い心に従って生きていました。

では、罪深い心とは何でしょうか。その心は神様に反抗し、自分のために生きようとします。けれども、その罪深い心に従った結果、私たちの人生はめちゃくちゃになりました。結婚や人間関係、健康など、すべてが崩れてしまいました。

それでも、私たちを自由にするために、キリストは死なれました。イエス様は私たちの心に手術を施してくださいました。イエス様は、私たちの石の心を取り除き、肉の心を与えてくださいました。(エゼキエル書 36:26)

要するに、イエス様は私たちの反抗的な心を取り除き、神様に従いたい心を与えてくださいました。そして、私たちがイエス様に従うにつれて、イエス様は私たちを滅ぼす罪から自由にしてくださいます。

それでも、私たちの中には罪の名残がまだ残っています。つまり、罪深い態度や習慣が消えずに残っているのです。私たちは生きる限り、それらと戦い続けなければなりません。

だからこそ、パウロはこの言うのです。「その古い態度や習慣に屈服してはいけません。あなたは豚小屋に暮らしていた時、惨めな人生を送ったでしょう。なぜまたその豚小屋に戻りたいと思うのですか。むしろ、愛をもって互いに仕え合いなさい。」

律法と罪からの自由の喜びを本当に知りたいと思いますか。愛をもって人に仕えましょう。神様の愛を楽しむにつれて、その愛を周りの人々に分かち合いましょう。私たちは神様から受けた祝福を周りの人々に分け与えるためにデザインされました。

そうすれば、真の喜びを知るでしょう。豚小屋に戻ることは、喜びにつながりません。

そして、パウロはこう言います。

律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。(14)

言い換えると、もしあなたが本当に律法に従っているかどうかを心配しているなら、愛をもって人々に仕えなさい。自分の自由をそのように用いるなら、自然と律法に従うことになります。

一方で、もし私たちが豚小屋に戻るなら、その結果はどうなるでしょうか。

気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。(15)

あなたはどうですか。イエス様からの自由の喜びを知っているでしょうか。もしかすると、豚小屋に戻ってしまったのかもしれません。では、あなたはこれからどうするでしょうか。