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ルカの福音書 ルカ6章

良い知らせ

聖書の学者たちは、マタイの福音書にある山上の垂訓とルカの福音書にある平地の説教が、実際に同じメッセージかどうかを議論しています。

ある学者たちは、イエス様が山を登り、その山の平らな場所で教えたと考えています。

私の推測では、多分イエス様は、その二つのメッセージを別の時に伝えたのではないかと思います。なぜなら、イエス様がいつも全く違う説教を伝えていたとは限らないからです。

イエス様は様々な町で同じテーマを教え、しかしその町の人々のニーズに応じてメッセージを少しずつ調整されたのではないでしょうか。

このルカの箇所では、恐らくイエス様は多くの貧しい人々に語られたのだと思います。彼らはお金をほとんど持っておらず、将来性も厳しい状況だったのでしょう。

未亡人や足の不自由な人がいたかもしれません。また、外国からの移民もいたかもしれません。そうであれば、イエス様は彼らのためにメッセージを調整された可能性があります。

このようにして、イエス様は預言者イザヤの予言を成就されたのです。

神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。

捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年。。。を告げ[る]。(イザヤ6:1-2)

だから、イエス様は彼らにこう言われました。

貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。

いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。

いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。(ルカの福音書6:20-21)

もちろん、これは、すべての貧しいものと泣く者が、祝福され、神の国に入るという約束とは限りません。この約束は、神様を追い求める人のためです。

もちろん、これは、すべての貧しい者と泣く者が祝福され、神の国に入るという約束とは限りません。この約束は、神様を追い求める人のためのものです。

もし、イエス様があなたの主であるなら、たとえ貧しく、飢え、泣いていたとしても、希望の日がやってきます。この暗い世界の中で、それは本当に良い知らせです。

あなたはどうでしょうか。あなたの人生は苦しい状況にあるでしょうか。その状況によって、心が押しつぶされそうになっているでしょうか。

あなたには希望があります。もっと良い日が訪れます。ただし、まずイエス様をあなたの主として受け入れる必要があります。

パウロはこう書きました

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

あなたはイエス様をすべてよりも愛しているでしょうか。神様の目的のために生きているでしょうか。それとも、自分自身の目的のために生きているでしょうか。

誰のために生きているのでしょうか。