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テサロニケ人への手紙第一

神のみ言葉?人間の言葉?

私たちはふだん、聖書を「神様のみことば」と呼んでいます。 けれども本当に、私たちは聖書をそのように扱っているでしょうか。

そのことばが、確かに神様から来たものだと信じて、 従おうとしているでしょうか。

それとも、聖書のことばをただの人間の言葉として扱っていないでしょうか。 自分の好みに合わない箇所に出会ったとき、 私たちはそれを無視する自由があると思っていないでしょうか。

第13節には、テサロニケの人々が取った選択が記されています。 そこでパウロは、こう語っています。

こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。

あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。

この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。(テサロニケ人への手紙2:13)

私たちがみことばを聞き、それを受け入れるとき、 神様は私たちの心のうちに働かれます。 けれども本当に、私たちはそのことばを受け入れているでしょうか。

私たちにとって、受け入れやすいことばもあります。 神様の愛や恵みについて聞くとき、私たちはそれを喜んで受け入れるでしょう。

しかし、受け入れにくいことばもあります。 たとえば、聖なる人生を生きるようにという命令や、 イエス様に応える責任があるという教えなどです。

もちろん、最も大切なことばは福音です。 つまり、イエス様とその十字架のわざだけを通して、私たちが救われるということです。

私たちは、自分自身を救うことはできません。 私たちの救いのためには、イエス様を信じなければならないのです。

テサロニケのクリスチャンたちは、そのことをすぐに信じました。 けれども、他の人々は信じようとしませんでした。

ユダヤ人の指導者たちは、かつて預言者たちを、そしてイエス様ご自身をも殺しました。 また、パウロが福音を宣べ伝えようとしたとき、 彼もそのような指導者たちによって追い出されたのです。

パウロは、彼らについてこう語っています。

ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。

彼らは、異邦人たちが救われるように私たちが語るのを妨げ、こうしていつも、自分たちの罪が満ちるようにしているのです。

しかし、御怒りは彼らの上に臨んで極みに達しています。(15-16)

そのユダヤ人たちや、一部のテサロニケの人々は、神様のみことばを、 単なる人間の言葉として扱ってしまいました。 その結果、彼らは罪を重ね、神様の御怒りに触れることとなったのです。

では、あなたはどうでしょうか。 あなたは、聖書をどのように扱っているでしょうか。

聖書を、神様のみことばとして受け止めているでしょうか。 そのことばに従うべきものとして、耳を傾けているでしょうか。

それとも、聖書を、ただの参考程度に過ぎない人間の意見として、 無視しても構わないものだと思っているでしょうか。

あなたが神様のみことばを聞くとき、 神様はあなたの応答に責任を問われます。

だからこそ、みことばを大切にし、従いましょう。 そうするなら、私たちは神様の祝福にあずかり、 日ごとに、神様のかたちに似た者へと造り変えられていきます。

今、神様はあなたに何を語っておられるでしょうか。