ずっと預言者たちの言葉を読んでいると、多くの裁きの言葉に目を留めてきました。けれども、最近イザヤの言葉を読む中で、私は本当に励まされました。
この箇所では、イザヤはバビロンに追放される人々に語りかけています。(ただし、思い出してください。これは預言です。イスラエルの民はまだバビロンに追放されてはいませんでした。)
神様はバビロンの神々を裁かれた後、亡命者たちにこう言われました。
わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ書46:3-4)
時々、私たちはイスラエルの亡命者たちのように、落ち込むことがあります。神様が私たちを捨てたのではないか、もう愛していないのではないかと思うことがあります。
しかし、神様はこう言われます。
「わたしは、あなたが母の胎にいる時から、あなたを担ってきた。
あなたが母の胎にいる時、わたしはあなたと共におり、あなたを形づくっていた。
あなたは生まれる前から、わたしに運ばれていた者である。
あなたの目が初めて光を見、医者の顔や母や父の目を見る前から、わたしは存在し、あなたを見守っていた。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。 あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
あなたが成長し、中年を迎え、年を重ねても、どんな変化が訪れようとも、わたしは全く変わらない。わたしは永遠の神である。
なお、わたしはあなたがたを運び、背負い、救い出す。」
つまり、神様は私たちを決して捨てることがありません。私たちが神様を必要とする時、神様はすぐに来られます。それほど深く神様は私たちを愛しておられます。
あなたは、自分が一人ぼっちだと感じているでしょうか。神様に捨てられたと思っているでしょうか。誰も信じられなくなり、皆に裏切られたと感じているでしょうか。
神様はあなたを造り、あなたの名前を知っており、決してあなたを捨てることがありません。
どんな試練を経験しても、神様は必ずあなたを助けてくださいます。
有名な詩が語っているように、私たちが人生の道を振り返る時、砂の上に残された足跡を見て、そこに一組の足跡しか見えないことがあります。
そして、私たちは神様にこう問いかけます。「私があなたを必要としていた時、あなたはどこにおられたのですか?」
しかし、神様は私たちにこう言われます。
「あなたは一人ぼっちだと思ったのですか?決して一人ぼっちではありませんでした。一組の足跡しかなかった時、それは私があなたを背負って歩いていたからです。」
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(4)
