言うまでもなく、私たちは福音のメッセージを襲う人々と戦わなければなりません。けれども、それだけではなく、その戦いで影響を受けた人々の世話をすることも必要です。
そこでユダはまず、「疑いを抱く人々をあわれみなさい」と言います。
疑いを抱く人々を見下すのは簡単ですが、そうせずに、私たちは彼らに手を差し伸べ、愛を持って真理を語り、神様が彼らの目を開いてくださるよう祈るべきです。(エペソ4:15)
さらに、私たちは彼らを火の中から救い出さなければなりません。ある人々は気づかないうちに偽教師の影響を受けており、火に落ちる寸前にいるのです。
だからユダは私たちに言います。「彼らを放っておいて、火に落ちることを許してはいけません。彼らを助け、警告を与えなさい。」(ユダの手紙23)
また、私たちは偽りの教えにとりこになった人々をもあわれまなければなりません。そして、偽教師たち自身をもあわれむ必要があります。
イエス様がご自身の血によって彼らを買い取ってくださったのですから、彼らが悔い改めて神様に立ち返るよう促すべきです。
しかし、それと同時に、私たちは彼らが陥った落とし穴に陥らないよう、注意しなければなりません。むしろ、私たちは彼らの罪によって汚された衣服さえも忌み嫌うべきです。(22節)
罪は触れるものすべてを汚してしまいます。そのため、私たちは罪による汚れを避けるよう常に気を付ける必要があります。
また、その人に手を差し伸べるときに覚えておくべきことがあります。私たちが立つことができるのは、神様の恵みだけによるものです。もし神様の恵みがなければ、私たちもその人たちのように疑いを抱き、偽りに惑わされてしまうでしょう。
だからこそ、彼らを見下してはいけません。むしろ、ユダのように神様に感謝すべきです。
あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。(24-25節)
