この箇所では、神様の知恵を拒絶し、自分の知恵に頼る危険を見ることができます。
この個所を読むと、ノアの話を思い出します。洪水が来る前に、ノアはずっと人々に警告していました。
この個所の「知恵」のように、広場でノアは声を上げたでしょう。
「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あなたには道徳観念がないので、悪魔の言葉にすぐに騙され、悪に落ちてしまいます。(箴言1:22a)
(実は、箴言で、「わきまえのない者」というのは、道徳観念がなく、すぐに騙される人という意味です。)
多分、ノアは「知恵」のように、「いつまで、あなたは神様の言葉をあざけることを楽しむでしょう。いつまで神様の言葉を憎むでしょうか。」と尋ねていました。(22b)
そして、神様はノアを通して、彼らにこう叫んだでしょう。
「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。しかし、むしろ、あなたはわたしを拒絶します。
わたしの手を伸ばすのに、あなたは顧みません。あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れません。」(23-25)
そして、洪水が来ました。その時、おそらく彼らはやっと神様に叫びましたが、神様は応えてくださいませんでした。彼らが神様を探しても、見つけられませんでした。なぜでしょうか。
なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れなかったからです。だから、彼らの行ないの実を食らいました。(31)
彼らの背信は自分を殺し、彼らの安心は自分を滅ぼしました。(32)
けれどもノアとその家族は主に従ったので、恐れずに、安全でした。
あなたはどうですか。
道徳観念がなくて、罪を犯しても安心するなら、あなたは結局滅びてしまいます。あなたの人生はめちゃくちゃになるし、最終的に地獄に行ってしまいます。
そして、地獄に行くなら、もう遅すぎます。つまり、悔い改める機会がありません。むしろ、あなたは自分の行いの実を食べます。
しかし、あなたが生きている間に、まだ希望があります。
だから、悔い改めてめましょう。神様の叱責を受け入れましょう。あなたの耳を開きましょう。
あなたの心が柔らかいなら、神様は自分の心をあなたに開いてくださいます。神様は命の道を教えてくださいます。天国への道だけではなく、この世にどうやって満ちた人生を送れるか教えてくださいます。
そして、あなたの人生は神様の喜びと平和で満ちます。
ノアのように、神様の声を聞いて従いましょう。そして、嵐が来るとき、あなたは恐れずに安心して生きることができます。
