多くの人々は、なぜ神様がこの世に悪を許されるのかについて疑問を持ちます。
このたとえ話で、イエス様はその理由の一つを示してくださいました。
私たちが理解しなくてはならないのは、神様がこの世の悪の源ではないということです。神様は聖なる方であり、決して悪いことをされません。神様は良い種だけを蒔かれます。
とはいえ、私たちには敵がいます。サタンは人々の心に悪い種を蒔きます。その種は毒麦となり、人々を傷つけ、さまざまな害をもたらします。
イエス様はその人々を引き抜くこともできますが、そうすると神様が救いたい人々に悪い影響を与える可能性があります。
どうしてなのでしょうか。正直に言うと、私はすべてを理解しているわけではありません。しかし、例えば、ある人々は神様に対して本当に無関心である場合があります。時として、苦難がなければ、彼らは決して神様に向かおうとしないのです。
それは天災であることもあれば、犯罪による被害であることもあります。もしかすると、彼らは本当に傷つくかもしれません。
けれども、その苦しみを通して、彼らは神様を見出し、救いに至るのです。そして、もしその苦しみがなければ、その人が救われることは決してなかったと神様はご存じなのです。だからこそ、神様は毒麦が残ることを許されているのです。
簡単に言えば、神様には私たちには見えないことが見えています。神様は私たちが知らないことを深くご存じです。
しかし、忘れないでください。裁きの日は必ず来ます。
人を殺す者には裁きが下されます。女性を傷つけた者にも裁きが下されます。神様に反抗する者には、裁きが訪れます。
その日には、すべての人が、神様に仕える者と神様を拒む者の違いをはっきりと理解するでしょう。
だから、この邪悪な世界を見て絶望しないでください。裁きの日を待ち望んでください。その日は正義がもたらされます。そして、その日にはすべての人が神様の知恵と正義を知るのです。
