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ルカの福音書のデボーション

押しつぶされている?

あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。(ルカの福音書21:34)

今日、「押しつぶされる」という言葉に心を打たれました。

毎日のニュースを見るたびに、不安に押しつぶされることは簡単です。

ある人は、飲酒や仕事、趣味に没頭することで、その不安から逃れようとします。

また、SNSで思いの丈を吐き出すことで、ストレスを解消しようとする人もいます。

しかし、私たちはどれほどイエス様が命じられたこと、そしてご自身が実践されたことを行っているでしょうか。

つまり、私たちはどれほど天のお父さんと時間を過ごし、祈っているでしょうか。(ルカ21:36-37)

そうすることで、私たちは固く立つ力を受け、物の見方が正されます。

神の国は近いのです。この世の問題は永遠のものではありません。イエス様の御言葉はすべて成就するのです。

その真理を思い出すことで、私たちは身を起こし、頭を上げることができます。なぜなら、私たちの贖いが近づいていることを知っているからです。(ルカ21:28)

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マタイの福音書のデボーション

罪の重荷に苦しむ人を支える

また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。(マタイの福音書23:4)

私たちは、パリサイ人たちや律法学者たちのように、神様の律法に余計なルールを付け加えることはないかもしれませんが、自分の罪によって苦しんでいる人たちを責めるのは、案外簡単なことです。

しかし、神様は、私たちが単に人を責めたり、逆にその人の罪を軽視したり、無視したりするのではなく、むしろ力となって、その人が罪を乗り越えることを助けるように望んでおられます。

そうする中で、私たちが神様から恵みと憐れみを受けたように、私たちも彼らに恵みと憐れみを与えるべきです。

だから、私たちの主の心を持ち、その言葉を心に留めておきましょう。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28-30)

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詩篇のデボーション

毎日毎日

日々、私たちの重荷を担われる方。(詩篇68:19)

どれだけ私たちはそれを考えるでしょうか。

どれだけ神様が私たちを支えてくださっているのに、私たちは全然気づかないのでしょうか。

むしろ、苦しむとき、私たちは神様に見捨てられたと感じてしまいます。

でも、神様は決して私たちを見捨てることはありません。

毎日毎日、神様は私たちの重荷を担ってくださいます。

さらに、十字架でイエス様は、私たちの最も重い重荷を担ってくださいました。

だから、一番暗いとき、この世の重さに押し潰されそうになるとき、私たちはダビデと一緒に叫びましょう。

ほむべきかな主。 日々、私たちの重荷を担われる方。 この神こそ、私たちの救い。(19)