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ルカの福音書のデボーション

間違った疑問

今日の箇所では、私たちはとても有名な例え話を読みました。それは、良いサマリア人の話です。

イエス様と律法の専門家は、神様を愛することと、隣人を愛することについて話していました。専門家は隣人を正しく愛していなかったので、自分が正しいことを示そうとして、イエス様に訊きました。「私の隣人とは誰ですか。」(ルカの福音書10:29)

興味深いのは、イエス様がその疑問に直接答えられなかったということです。どうしてでしょうか。なぜなら、それは間違った疑問だったからです。

では、正しい疑問は何でしょうか。

イエス様は例え話を語られたあと、専門家に訊かれました。「だれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」(36)

専門家は答えました。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」(37a)

イエス様は彼に言われました。「正解です。では、あなたも行って、同じようにしなさい。」(37b)

つまり、正しい疑問は「私の隣人は誰だろうか」ではありません。私たちは、誰を愛するか、愛さないかを選んではいけません。

正しい疑問は、「私は隣人だろうか。私は憐れみを与える人だろうか。」です。そう訊いたら、私たちは誰を愛するか選ぶことができません。むしろ、私たちは周りの人々すべてを愛さなくてはなりません。

私が告白しなくてはならないのは、人を愛することが難しいときもあるということです。愛しにくい人もいるからです。

だからこそ、私は救い主が必要です。実は、私たち皆が救い主を必要としています。なぜなら、私たちは人を正しく愛せないときがあるからです。

ところで、それこそがイエス様の要点でした。イエス様は、専門家が自分の罪を認めるように望まれました。でも、専門家は言い訳しようとしました。

とにかく、私の祈りはこうです。

主よ。あなたは私を憐れんで救ってくださるほどに、私を愛しておられました。だから、あなたの恵みによって、私も周りの人々に対する隣人、また憐れみを与える者となることができるように助けてください。

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ルカの福音書 ルカ10章

行動と真実をもって愛するか

この話を読むたびに、ヨハネの言葉が心に浮かびます。

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3:18)

このたとえ話を通して、私たちはその深い意味を見いだすことができると思います。このサマリヤ人はどのようにして行動と誠実さをもって愛を示したのでしょうか。

まず一つ目に、彼は自分の文化における偏見を捨てました。

おそらくユダヤ人たちはこの話を聞いた時、非常に驚いたことでしょう。なぜなら、ユダヤ人の泥棒が旅行者を襲い、ユダヤ人の祭司とレビ人(神殿で働く人)がその人を助けなかったからです。

そしてその後、サマリヤ人が登場します。サマリヤ人たちは混血の人々であり(ユダヤ人と異邦人)、本当の神様への礼拝と偽物の神々への礼拝を混ぜたため、ユダヤ人たちから軽蔑されていました。その結果、サマリヤ人たちもユダヤ人を憎んでいたのです。

しかし、この物語の中で、サマリヤ人は怪我をしたユダヤ人を見た時にその人を憐れみました。

しかも、そのサマリヤ人は憐れむだけでなく、具体的な助けを提供しました。もちろん、怪我をした人を憐れむことは良いことですが、助けなければそれは意味を持ちません。

では、そのサマリヤ人は何をしたのでしょうか?

彼はユダヤ人に近寄りました。(34a)

彼はその人の痛みを和らげました。(34b)

彼はその人を宿屋に連れて行き、介抱しました。(34c)

さらに、このサマリヤ人は自分のお金を使ってその人の世話をしました。(35)

そして、イエス様が律法の専門家に言われたように、イエス様は私たちにもこう言われます。

「あなたも行って同じようにしなさい。周りの人々を見て、彼らが必要としているなら、その人を助けなさい。」

とはいえ、言い訳をするのはとても簡単です。

「私は忙しすぎる。」 「助けたいけれど、何もできない。」 「もっと大切なことをしなくてはならない。」

おそらく、祭司とレビ人もそのように考えたのでしょう。もしかしたら、彼らはその人がすでに死んでいると思い、その遺体に触れることで儀式的に不潔になることを恐れたのかもしれません。

(神様の律法では、儀式的に不潔な人は神殿に入ることが許されていませんでした。)

そのため、彼らは自分の義務をその人に対する愛よりも優先させました。

また、彼らはこう思ったかもしれません。「私は医者ではない。これは私の責任ではない。何もできない。」

どのように考えたとしても、彼らは神様の言葉を忘れてしまいました。

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。(ホセア書6:6)

あなたはどうでしょうか。周りの人々のニーズを見る時、その人を無視するでしょうか。もしかすると、祈るだけで実際に助けることはしないでしょうか。それとも、ただ言い訳をしてしまうでしょうか。

憐れみ深い心を持って生きましょう。なぜなら、神様はそのような心を望んでおられるからです。言葉や口先だけで愛するのではなく、行動と真実をもって愛を示しましょう。