多くの人々は私がちょっとおかしいと思うかもしれませんが、私は雷雨が大好きです。稲妻が光るのと雷が鳴るのがかっこいいと思うからです。(もちろん、その時、家にいたいですが。)😊
とにかく、英語の聖書を読むと、興味深いことが書かれていました。この詩篇は、「雷雨の歌」と呼ばれます。雷雨の時、この歌が歌われ、詩人はノアと洪水の話を思い出しました。
詩篇29篇では、神様の偉大さが見えると思います。
最初にダビデは、私たち皆が主を礼拝するように呼びかけます。
力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。
御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。(詩篇29:1-2)
つまり、「神様の栄光と力を認めなさい。神様が値する栄光を認めなさい。主をほめたたえなさい。」ということです。
日本語では、「聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ」と翻訳されています。ある英語の聖書も、この箇所はそのように翻訳されています。
しかし、この箇所を翻訳する方法がもう一つあります。それは、「神様の聖なるさの美しさのために、主をほめたたえなさい」ということです。
どれほど、私たちは神様の聖なるさの美しさについて考えているでしょうか。けれども、神様の聖さを見るなら、多分、私たちは「美しい」としか言えないでしょう。
実は、私たちは神様の形として造られました。残念なことですが、今、私たちの罪によって、その形は歪んでいます。それでも、周りの人々を見るなら、時々、その美しさがちらりと見えます。
しかし、神様を見る時、そこには罪の染みがないので、神様は本当に美しい方です。
そして、ダビデは自然を見る時、雷雨の中で神様を見ます。神様の荒れ狂う御声を聞き、その声の力と尊厳を見ます。つまり、稲妻が光り、雷が鳴って、地が揺れ、大きな木が引き裂かれ、その木が裸にされ、その葉と枝が風の中で踊っているのを見ます。
ダビデはその「声」を聞くと、他の声を聞くことを想像します。つまり、天使の声が天の宮で響いて、「栄光」と呼んで、神様を礼拝します。
けれども、私の心を打つのは、ダビデの最後の言葉です。
主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。(11)
どうして、その個所は私の心を打つのでしょうか。なぜなら、この大いなる神、この聖なる神、この全能の神は、私を愛しておられるからです。
神様は私を愛しておられるので、私が弱い時に、力を与えてくださいます。私が心配する時、私が恐れる時、神様は私に平和を与えてくださいます。
私が弱い時、神様は強いです。
ある英語の翻訳では、このように書かれています。
主は、ご自身の民に強硬な力、また、決して壊れない力をお与えになる。
主よ。あなたは大いなる神です。あなたは全能の神です。あなたは聖なる神です。けれども、あなたは私を愛しておられます。そのことを感謝します。
私が小さく、取るに足りない人間なのに、あなたにとっては、私は大事な存在です。だから、あなたは、この世に来て、私の罪のために死んでくださいました。
私が弱い時、あなたが私の力でいてくださいますように。私が嵐の中にいて恐れる時、あなたの平安を与えてください。
あなたを愛しています。主イエス・キリストの皆によって祈ります。アーメン。
