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詩篇

歌うとき、戦うとき

多くの人々にとって、詩篇149篇は気持ち悪く感じられる部分があるでしょう。特に6節以降は少し読みにくいでしょう。

この詩篇の前半では、詩人は人々に神様を賛美するように招きます。なぜなら、神様は私たちの創造主であり、私たちの神だからです。詩人は、楽器で神様を賛美し、また踊りをもって賛美しようと呼びかけます。

私は全然踊れませんが、人々が神様を踊りを通して賛美する様子を見ると、感動し、祝福されます。

また、神様を賛美するために人々が楽器を演奏するとき、私は神様に近づくことができます。私の教会では、プロのヴァイオリニストがよく演奏しており、その賛美の雰囲気は本当に素晴らしいです。

私自身、賛美の時間を楽しみますが、神様はもっと喜んでおられます。たとえ音痴でも、楽器が演奏できなくても、踊れなくても、あなたが賛美するときに、神様は喜ばれます。詩人はこう言います。

主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。(詩篇149:4)

神様は私たちの才能よりも、私たちの心を喜ばれます。私たちが神様を愛し、賛美するとき、神様は喜ばれます。

また、私たちがへりくだって、神様に信頼するとき、神様は私たちを救いで飾ってくださいます。だから私たちは喜ぶべきです。私たちは神様から何も値しないのに、神様は私たちに永遠の命を与えてくださいます。

けれども、この詩篇の後半は、少し気持ち悪く感じるかもしれません。なぜなら、詩人は私たちに神様を賛美するように招き、その後、神様のために戦うように招くからです。つまり、神様に反抗する人々と戦い、神様の裁きを行うことです。

イスラエル人がカナンに着いたとき、そうしなければなりませんでした。

神様はカナン人が悔い改めるために何百年も待っておられましたが、彼らはさらに悪化しました。だから、彼らの罪が満ちたとき(創世記15:16)、神様はイスラエル人を裁きを行うために遣わされました。

もちろん、私たちはそのイスラエル人ではありませんが、この詩篇は私たちにとってどんな意味を持つのでしょうか。

私たちは霊的な戦争に入っていることを覚えておかなければなりません。しかし、私たちの敵は人間ではありません。むしろ、霊的な力が人々を用いています。

だから、私たちは人々と戦わずに、その背後にある霊的な力と戦っています。

そして、私たちの武器は刀ではなく、神様のみ言葉です。そのみ言葉は、

生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(へブル4:12)

だから私たちは人々と戦わないのです。むしろ、彼らが救われるために私たちは戦います。

私たちのメッセージは裁きのメッセージであり、救いのメッセージです。

信じる人々に対し、私たちはイエス様の名前によって、神様の赦しを宣言する権利があります。

しかし、神様の言葉を拒絶する人々に対しては、私たちは裁きのメッセージを伝える権利があります。(ヨハネ20:23)

だから忘れないでください。もちろん、私たちは神様を賛美するように招かれました。けれども、私たちは戦うようにも招かれています。罪に迷った人々のために戦わなければなりません。

だから、戦いに走りましょう。