おそらく、コリントの偽教師たちが自分の啓示や幻を誇っていたため、パウロは自らの優れた霊的な経験を語り始めました。
彼は天国に行き、神様の御前に立ちました。(それが実際に起こったのか、それとも幻だったのか、パウロ自身は知りませんでした。)
それでも、その経験について話した後、パウロはこう言いました。
しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、私について見ること、私から聞くこと以上に、だれかが私を過大に評価するといけないので、私は誇ることを控えましょう。(コリント人への手紙第二12:6)
パウロの言葉の意味は何でしょうか。
私たちには皆、それぞれ霊的な経験があります。もちろん、その経験の大切さを疑うことはありません。しかし、その経験によって、自分の霊的な偉大さを誇るべきではありません。
私たちの霊的な成熟は、毎日の言葉や行動によって証明されます。周りの人々は、そのことに気づくはずです。
彼らは私たちの霊的な経験そのものではなく、むしろ神様が私たちを通して話し、働き、人に触れておられることに気づくのです。そしてそれは、私たちの栄光のためではなく、神様の栄光のためなのです。
あなたには、素晴らしい霊的な経験があるでしょうか。それは祝福です。
しかし、本当の霊的な経験は、ただ心を躍らせるためのものではありません。むしろ、その霊的な経験を通して、私たちの日々の言葉や行動が変えられていくはずです。
あなたの霊的な経験は、どのように日々の言葉や行動を変えてきたでしょうか。
