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箴言

誰を信頼するのか。何に頼るのか。

あなたは、誰を信頼するでしょうか。何に頼るでしょうか。

自分自身ですか。お金ですか。もしくは、神様ですか。

箴言で、ソロモンは何度もこの疑問に取り組みます。彼はこう書きました。

主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。

富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思っている。

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。(箴言18:10-12)

多くの人々は、自分自身だけを信頼します。彼らは、自分の知恵や富みに頼ります。彼らは、もしお金さえあれば、どんな問題に直面しても、大丈夫だと思います。

しかし、ソロモンが言ったのは、神様こそを信頼するなら、あなたは本当に安心できるということです。

多くの人々はお金に頼るけれど、まだ幸せと安心を見つけていません。

彼らの結婚はうまくいかず、彼らの仕事や投資した株についていつも心配して、あまり眠れません。必要な物を持っていても、なんとなく安心できません。

ある人は安心して達成感があるけれど、最終的に彼らの建てた国は倒れてしまいます。

さらに、裁きの日に、彼らは神様の前に自分のことを申し開きしなくてはなりません。そして、自分自身だけのために生きていたら、彼らの達成は無駄になります。

その反面、神様を信頼する人は、本当に安心できます。なぜなら、神様の御心に従うので、神様は彼らを見守っておられるからです。それに、裁きの日に、イエス様はご自身の十字架の働きによって、彼らを擁護してくださいます。

だから、私たちは誰を信頼するか、また何に頼るか、気を付けなくてはなりません。

ソロモンはこう書きました。

熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。(箴言19:2)

自分の人生に対する情熱を持つかもしれないけれど、神様とその導きに従わないと、あなたはつまずきます。

多くの人々は、しばしば情熱を持つけれど、愚かな決断をするので、振り返ると、後悔が多いです。

そんな人について、ソロモンはこう言います。

人は自分の愚かさによってその生活を滅ぼす。しかもその心は主に向かって激しく怒る。(19:3)

どれほど、私たちは自分の愚かな決断によって自分の人生を台無しにして、神様に「どうして、こんなことが起こるのを許したんですか?」と問うでしょうか。

けれども実は、私たちは蒔いたものを刈り入れたのです。神様を信頼さえすれば、私たちはその落とし穴に落ちなかったでしょう。

だから、ソロモンはこう言いました。

命令を守る者は自分のいのちを保ち、自分の道をさげすむ者は死ぬ。(19:16)

神様の言葉は命の言葉です。私たちがその言葉を無視することは、私たちの責任です。

だから、ソロモンは訓戒します。

忠告を聞き、訓戒を受け入れよ。そうすれば、あなたはあとで知恵を得よう。(19:20)

ソロモンの言葉を覚えておきましょう。

人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。(19:21)

あなたはいろんな計画を立てるかもしれないけれど、最終的に神様の計画が成就されます。

だから、神様の御心と戦わないようにしましょう。むしろ、その計画と協力しましょう。そうすれば、あなたはこう分かります。

主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。(19:23)

あなたは誰を信頼していますか。何に頼っていますか。

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エゼキエル書

壊れやすいものに頼る?

少し皮肉なことですが、神様はイスラエルの民をエジプトでの奴隷生活から救い出されたにもかかわらず、バビロンがイスラエルを攻撃した際、イスラエルの民はエジプトの助けを求めました。

エルサレムが包囲されたとき、エジプトの軍勢はイスラエルを助けるためにバビロンと戦い、バビロンの包囲は一時的に停止しました。

けれども、すぐにバビロンはエジプトを打ち破った後、エルサレムに戻り、エルサレムはその後すぐに陥落しました。

この箇所では、神様がエジプトの没落を預言されたことが記されています。神様は、エジプトを川から引きずり出され、砂漠に取り残され死にかけている鰐にたとえられました。

では、エジプトはなぜ裁きを受けたのでしょうか。その理由は複数ありますが、そのうちの一つは、イスラエルが神様に向かわずにエジプトの助けを求めたことです。

そのため、神様はパロにこう言われました。

エジプトの住民はみな、わたしが主であることを知ろう。彼らが、イスラエルの家に対して、葦の杖にすぎなかったからだ。

彼らがあなたの手をつかむと、あなたは折れ、彼らのすべての肩を砕いた。彼らがあなたに寄りかかると、あなたは折れ、彼らのすべての腰をいためた。

それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしは剣を送ってあなたを攻め、人も獣も、あなたのうちから断ち滅ぼす。エジプトの地は荒れ果てて廃墟となる。。。

イスラエルの家は、これに助けを求めるとき、咎を思い起こして、もう、これを頼みとしなくなる。(エゼキエル書29:6-9、16)

エジプト人は自分たちが強大な力を持っていると信じていました。そして、パロの誇りによって、自らを神と見なすまでになりました。彼はこう言いました。

川は私のもの。私がこれを造った。(エゼキエル書29:9)

実は、彼の名前ホフラは、「強い腕を持つ者」という意味を持っています。

しかし、神様は彼にこう言われました

人の子よ。わたしはエジプトの王パロの腕を砕いた。

見よ。それは包まれず、手当をされず、ほうたいを当てて包まれず、元気になって剣を取ることもできない。

それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしはエジプトの王パロに立ち向かい、強いが砕かれている彼の腕を砕き、その手から剣を落とさせる。(エゼキエル書30:21-22)

エジプトは他の国々との同盟に頼り、自分たちの神々を信頼していました。しかし、神様は彼らにこう言われました。

エジプトをささえる者は倒れ、その力強い誇りは見下げられ。。。

神である主はこう仰せられる。わたしは偶像を打ちこわし、ノフから偽りの神々を取り除く。(30:6-13)

31章では、神様がバビロンにアッシリヤの没落を思い出させました。アッシリヤもまた、自分たちの力と美しさを誇り、数多くの同盟を結びました。それにもかかわらず、バビロンは彼らを打ち破りました。

そこで、神様はエジプトにこう言われました。「アッシリヤはあなたよりも優れた国でした。それでも彼らは倒れた。どうしてあなたが立ち続けることができると思えるのですか。」

続けて、32章では、神様がエジプトに警告を与えられました。

「多くの国々は自分のプライドに基づいて立ちましたが、結局彼らは地獄に行ってしまいました。あなたもその運命から逃れることはできません。」

ここから私たちは何を学べるでしょうか。

私たちは何に頼っているでしょうか。他の人々に頼っているでしょうか。それとも、自分自身の力に頼っているでしょうか。

この世の神々、つまり、お金、持ち物、権力に頼っているでしょうか。

これらのものは壊れやすいものです。人々はあなたを失望させるでしょう。あなた自身の力も最終的には消え去ります。お金や持ち物もいつかはなくなります。

そのすべてがなくなったとき、あなたは何に頼るのでしょうか。

頼るべきお方は、ただお一人。それはイエス様です。

この世のすべてのものは、最終的に崩れ去ります。しかし、イエス様だけは決して崩れません。

イエス様こそが、あなたの人生をその上に建てることのできる、決して揺るがない岩なのです。

イザヤはイエス様についてこう言いました。

見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。

これを信じる者は、あわてることがない。(イザヤ28:16)

あなたは誰に頼っているでしょうか。

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イザヤ書

主に信頼する人々に

私はこの箇所が大好きです。神様はアッシリヤを裁かれた後、イスラエル人にこう言われました。

その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家ののがれた者は、もう再び、自分を打つ者(つまり、アッシリヤ人)にたよらず、イスラエルの聖なる方、主に、まことをもって、たよる。。。

それゆえ、万軍の神、主は、こう仰せられる。「シオンに住むわたしの民よ。アッシリヤを恐れるな。彼がむちであなたを打ち、エジプトがしたように杖をあなたに振り上げても。

もうしばらくすれば、憤りは終わり、わたしの怒りが彼らを滅ぼしてしまうから。。。

その日になると、彼の重荷はあなたの肩から、彼のくびきはあなたの首から除かれる。くびきはあなたの肩からもぎ取られる。」(イザヤ書10:20、24ー25、27)

これを読むと、私たちの人生について考えます。

以前、私たちは私たちを打った者に頼っていました。つまり、サタンは私たちに幸せと満足を与えると約束しましたが、結局私たちのすべてを盗みました。サタンは私たちを打ったので、私たちは自分の罪と情欲の奴隷になりました。

しかし、もし私たちがサタンの嘘を信じずに、むしろ主に頼ると、私たちの罪と罪悪感と恥の重荷は取り除かれ、私たちは自由にされます。

そして、ある日、神様がアッシリヤ人を裁かれたように、神様はサタンも裁かれます。サタンはそれを知っています。だから、サタンは私たちに向かって拳を振り上げます。(32)

けれども、神様はサタンを木のように切り落として、サタンは低くされます。

だから、サタンの嘘を拒絶して信頼しないでください。

サタンはいろいろな約束をしますが、その約束は虚しいものです。サタンは私たちを脅すかもしれませんが、私たちが神様に信頼すると、サタンは私たちに対して力がありません。

むしろ、主に頼りましょう。なぜなら、主は私たちを愛し、癒やし、新しい人生を与えたいと願っておられるからです。