カテゴリー
ヤコブの手紙

真の信仰がどのように表現されるか(8)

今日の箇所で、ヤコブはついに真の信仰についての話を締めくくります。この手紙の中で、ヤコブは何度も、愛や言葉、そして清さのテーマを強調してきました。

そして、今日の聖句では、ヤコブは再び聖さと、私たちがこの世の汚れを避けることの重要性に焦点を当てます。

その「汚れ」とは、この世のものへの執着です。しかし、それだけでなく、この世の富や成功に伴う高慢も汚れの一部です。

ここでヤコブは、成功した人々—特に業者や商人たち—に向けて語ります。彼らは成功を収めましたが、その結果、自分が神様を必要とすることを忘れ、さらにその成功が神様から与えられたものであることも忘れてしまいました。

だから、ヤコブは彼らにこう言いました。

「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。

あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。

あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。

あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。

ところが実際には、あなたがたは大言壮語して誇っています。そのような誇りはすべて悪いことです。(ヤコブへの手紙4:13-16)

ある意味において、この聖句は10-12節と関連しています。

その箇所で、ヤコブは問いかけます。「あなたは、自分が何者だと思っているのか。どうして自分の隣人を裁くのか。どうして自分の隣人をそしり、軽蔑するのか。」

そして、13-16節でヤコブはもう一度問いかけます。

「あなたは、自分が何者だと思っているのか。どうして自慢するのか。あなたは無に等しいものだ。あなたはただの霧にすぎない。今日生きていても、明日はどうなるか分からない。あなたは自分がどれほど生きるかをコントロールできないのだ。」

では、私たちは何を学ぶべきでしょうか。私たちは高慢を捨て、神様に近づき、へりくだらなければなりません。

それだけではなく、隣人を軽蔑してはなりません。むしろ、イエス様の命令に従い、自分を愛するように隣人を愛さなければなりません。

ヤコブはこの話を次のようにまとめています。

こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。(17)

この言葉を通して、私たちは再びヤコブの2章の教えに立ち返ります。つまり、「行いのない信仰は死んだものである」ということです。(2:17)

もし、高慢な心を持ち、口で相手を裁き、周りの人々のニーズを無視し、この世に執着しているなら、あなたは本当に信仰を持っているのでしょうか。あなたの信仰は単なる言葉だけのものではないでしょうか。あなたの信仰は空っぽではないでしょうか。

あなたの信仰はどのようなものですか。