カテゴリー
マタイの福音書 マタイ25章

十人のおとめのたとえ話:あなたは準備している?

25章では、二つのたとえ話を通して、イエス様はすでに教えられたことを強調されています。つまり、私たちは目を覚ましてイエス様の再臨を待ち望み、主が命じられたとおりに忠実に仕えなければならないのです。

この最初のたとえ話では、多くの人々が細部にまで解釈を加えようとするあまり、時に言い過ぎてしまうことがあります。

しかし、このたとえ話の要点は、私たちが目を覚まし、心の準備を整えて、イエス様の再臨を待ち望むべきだということです。なぜなら、私たちが予期しない時に、イエス様は戻られるからです。

この話では、十人のおとめがその教訓を学びました。花婿が花嫁の家に向かい、その後ふたりが戻ってくると婚礼の祝宴が始まる予定だったため、皆がその時を待っていました。

ところが、何らかの理由でふたりは遅れ、ようやく到着した時には、十人のおとめは眠っていました。彼女たちが目を覚ました時、ともしびが消えかけていたため、油がさらに必要になったのです。

五人のおとめは余分な油を持っていたため、ともしびを整えることができました。けれども、他の五人のおとめは油を持っていなかったため、買いに行かなくてはなりませんでした。

ところが、彼女たちが戻ってきた時には、家の戸はすでに閉じられており、彼女たちは中に入ることができませんでした。

イエス様がこのたとえ話で強調された要点は何でしょうか。ある人々は花婿の再臨に備えていると思っていましたが、実際には準備が整っていませんでした。一方、ある人々は確かに準備ができていました。

準備が整っていた人々は婚礼の祝宴に参加することができましたが、準備していなかった人々は参加できず、家に入ることも許されませんでした。

イエス様が戻られる時、多くのユダヤ人は、愚かな娘たちのような状態にあります。

彼らは長い間、メシアの到来を待ち望んできました。あるユダヤ人たちは、確かに準備が整っています。つまり、イエス様をメシアとして認め、聖霊に満たされているため、イエス様が戻られる時、神の国に入ることができるのです。

その一方、あるユダヤ人たちは自分が準備できていると思っていますが、実際には整っていません。そして、イエス様が戻られる時、そのことが明らかになります。

その時、彼らはようやくイエス様がメシアであることに気づきます。けれども、すでに手遅れであり、神の国に入ることはできないのです。

ユダヤ人たちだけではなく、ユダヤ人ではない人々もそのことを経験します。

多くの人々は、自分がクリスチャンだと主張します。しかし、彼らは本当にイエス様を主であり救い主として受け入れてはいません。見かけは敬虔に見えても、彼らは敬虔の力を否定する者です(第二テモテ3:5)。

彼らはイエス様に従っていると言いますが、実際には自分自身のために生きています。

ですから、イエス様が戻られる時、彼らは自分の心が整っていないことに気づき、神の国に入ることはできないのです。

あなたはどうでしょうか。イエス様の再臨のために、心の準備はできているでしょうか。救いに至る道はただ一つです。パウロはこう語りました。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10:9)

あなたは、どう応じるでしょうか。