私はあまりコンピューターを買いません。ある人々は三年に一度、または五年に一度くらい新しいコンピューターを買います。
私が今使っているコンピューターは三年前に買ったものですが、その前のコンピューターは十年ほど使いました(「Windows Me」のOSを覚えているでしょうか)。
とにかく、そのコンピューターはだんだん処理が遅くなり、もう寿命だと思ったので新しいものを買いました。今使っているコンピューターはかなり速く、すべてがスムーズに進むようになって本当に良かったと思います。
では、その話が私たちにどう関係しているのでしょうか。
もちろん、神様はコンピューターをアップグレードすることに興味を持っておられるわけではありません。神様ははるかにすばらしい計画を持っておられます。それは、この全世界を新しくされるという計画です。
私たちが住んでいる世界は、だんだん崩れいています。地震や台風やハリケーンが良く起こります。私たちが住んでいる世界は、だんだん崩れています。
地震や台風やハリケーンがよく起こります。
また、人々は他の人々を傷つけます。もちろん犯罪も起こりますが、それだけではなく、夫たちはその妻たちを傷つけ、妻たちはその夫たちを傷つけ、両親たちはその子供たちを傷つけ、友達はその友達を傷つけます。
それに、この世には死が治めています。いつか皆が死にます。あなたが若くても、年寄りの人でも、いつかあなたは死にます。
しかし、イザヤが言ったのは、いつかそのような問題が終わるということです。
この箇所では、イザヤは天国について話しているのではないと思います。イエス様の再臨で、この世を1000年ぐらい治めてくださるのだと思います。(黙示録20章)
その時について神様はこう言われます。
見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。
見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。
そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。
百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。(イザヤ書65:17-20)
その時、涙と悲しみはなくなり、皆が喜びます。死はまだ訪れますが、多くの人々は平和な人生を生きます。
そして、イエス様を愛している人々が死んでも、彼らは新しい体を与えられます。(とはいえ、そのタイミングについては私には少し分かりません。)
また、神様の最初の計画通りに、私たちは自分の仕事を喜ぶようになります。
彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。
わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者のすえであり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。(21-23)
そして、その時、この世には平和があります。動物と人間の間にも平和があります。
狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と主は仰せられる。(25)
全てが新しくなります。その日が待ち遠しいです。
