昨日、私は「使徒の働き」の三つの話を通して、神様の選び、人間の選択、そして私たちが行って福音を伝える責任が、どのようにともに働くのかを説明しました。
この話は、その二つ目の例です。
あるパリサイ人、サウロは、キリストに対して頑なな心を持ち、キリスト教を根絶しようとしていました。
もし神様がサウロをそのまま放置されていたなら、彼は滅びに至っていたでしょう。しかし、神様はサウロの人生に介入されました。
なぜでしょうか?それは、神様がサウロを救うことを選ばれたからです。神様がアナニアに語られたとき、私たちは神様の選びをはっきりと見ることができます。
神様がアナニアに「サウロのもとへ行き、助けなさい」と命じられたとき、アナニアは驚いて答えました。
「え?本当に?あの男はクリスチャンたちを迫害しようとしているのに。」
神様の答えは?
行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。(使徒の働き9:15)
神様の答えは、すでに救いのために人々を選ばれているなら、私たちは福音を伝えなくてもよいという考えを否定するものです。(昨日の記事でも、同じ点に言及しました)。
アナニアがそのようなことを神様に言うところを、想像できますか。
「では、あなたがすでにサウロを選ばれたのなら、私は彼のもとへ行く必要はないでしょう?」
もしアナニアがそんな愚かなことを言っていたら、神様はどのように答えられたでしょうか。きっと、神様はアナニアに対して非常に厳しく怒られたでしょう。なぜでしょうか。神様はアナニアに「行きなさい」と命じられたからです。
同じように、神様は私たちに「行きなさい」と命じられます。
もちろん、神様は私たちの助けを必要とされません。それでも、多くの場合、神様は私たちを通して人々を救うことを選ばれます。
神様は私たちに御国の鍵を渡されました。もし私たちが行かず、福音を伝えないなら、天国の門は人々に対して閉ざされたままとなるでしょう。
この話ともう一つの話を読む際に、一つ注意してください。イエス様はサウロに直接語られ、天使は百人隊長コルネリウスに直接現れました。それでも、神様はご自身の民を遣わし、その二人に語らせました。
そのように、神様は私たちが行き、福音を伝えることを求めておられます。
ピリポは、神様によってエチオピア人のもとへ遣わされました。
アナニアは、神様によってサウロのもとへ遣わされました。
そしてサウロは、ユダヤ人や異邦人のもとへ行き、福音を伝えるように選ばれました。
あなたも、この世の民のもとへ行き、福音を伝えるように選ばれています。
ある人がかつてこう問いかけました。
「God」という言葉の最初の二文字は何でしょうか。「Go」。
「Satan」という名前の最初の三文字は何でしょうか。「Sat」。
私たちはただ座っているのではなく、この世の民のもとへ行き、福音を伝えましょう。
