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出エジプト記

十戒:本当の安息日

出エジプト記20:8ー11

去年、私の友人は尋ねました。

「どうして、クリスチャンは十戒をだいたい守ろうとするのに、安息日だけは全く守らないのでしょうか。」

その理由には2つの点があります。

1つ目は、ほとんどのクリスチャンが七日の安息日を守らない、つまり土曜日に休まず、教会にも行かないということです。

けれども、教会が始まった時代から、クリスチャンは日曜日に神様を礼拝し始めました。使徒の働き20:7と第一コリント16:2にその様子が見えます。

ですから、クリスチャンは安息日を土曜日から日曜日に変えたのです。おそらく、毎週キリストの復活を祝うために日曜日に変えたのでしょう。

2つ目の理由は、七日の安息日だけが新約聖書で緩められたということです。

コロサイ2:16ー17で、パウロはこう書いています。

こういうわけですから、食物と飲物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、誰にもあなた方を批評させてはなりません。

これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。

ここで2つのフレーズが目立ちます。

1つ目は、「安息日のことについて、誰にもあなた方を批評させてはなりません。」というものです。

つまり、七日の安息日を守るクリスチャンを裁いてはならないし、守らないクリスチャンを裁いてもならないのです。

もし安息日を必ず守らなくてはならないのであれば、パウロはこのように書けなかったでしょう。

2つ目のフレーズは、なぜ安息日を守る必要がないかを説明しています。

パウロは「これらは次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです」と書きました。

つまり、これらすべてはキリストを予示していたのです。しかし、キリストがすでに来られたので、私たちは影ではなく本体に焦点を当てるべきです。その本体はキリストなのです。

ヘブル人への手紙の著者も、3ー4章でそのことについてさらに書きました。特に4章9ー11でこう記しています。

したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。

神の安息にはいったものならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。

ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例に習って落後するものが、一人もいないようにしようでは ありませんか。

著者が言いたいのは、神様の民のために安息が残されているということです。その安息に入った者は、自分のわざを終えて休むのです。その意味には2つの可能性があります。

1つ目は、私たちが天国に行くときに、私たちの働きが終わるということです。

黙示録14:13にはこう書かれています。

また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。」

御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについていくからである。」

2つ目は、私たちがクリスチャンになるときに、神様の安息に入り、もはや救いのために働こうとしないということです。むしろ、キリストの働きに信頼するのです。

ヘブル3ー4章によれば、著者はこの2つ目の意味について語っていると思います。

イスラエル人は神様に信頼しなかったため、安息に入ることができませんでした。その不信仰は不従順につながりました。

だから4:1ー3でこう書かれています。

こういう訳で、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなた方のうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないような事のないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。

福音を説き聞かせられていることは、私達も彼らと同じなのです。

ところが、その聞いたみ言葉も、彼らには益になりま せんでした。み言葉が、それを聞いた人たちに、信仰によって、結び付けられなかったからです。

信じた私たちは安息に入るのです。

つまり、本当の安息日は週の最初の日でもなく、週の最後の日でもないのです。

本当の安息日は、私たちが神様の愛と受け入れのために働くことをやめ、イエス様を信じ、キリストの十字架の働きに信頼することなのです。

ユダヤ人がイエス様に「神様のわざを行うために何をすべきでしょうか」と尋ねたとき、イエス様は答えられました。

あなた方が、神が遣わしたものを信じること、それが神のわざです。(ヨハネ6:29)

つまり、イエス様が言われたのは、「神様の受け入れを得るために、あなたの働きをやめて、安息して、私を信じなさい」ということです。

だから、一番大切な問題は日曜日か土曜日に神様を礼拝することではありません。安息日は神様が私たちに与えたい安息の影にすぎないのです。

一番大切な問題は、あなたが神様の安息に入っているかどうかです。

神様の愛と受け入れを得るためにあなたの努力をやめたでしょうか。かえってイエス様を信じ、その十字架の働きに信頼しているでしょうか。その安息を求めなくてはなりません。

だからヘブル人への手紙の著者がこう書いたように、

今日、もし御声を聞くならば、あなた方の心をかたくなにしてはならない。(へブル書4:7)

むしろ、キリストに信頼して、神様の安息に入りましょう。

2 replies on “十戒:本当の安息日”

エレミヤ書17:19-27ーー敬い、信頼、服従 | 聖書を読み通す への返信 コメントをキャンセル