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出エジプト記

神様との関係の出発点

出エジプト記25:10ー22

神様が幕屋の作り方について語られるとき、興味深いのは、天幕の外側からではなく、幕屋の中にあるものから語り始められるということです。

神様が最初に語られたのは、最も大切な契約の箱でした。

その箱について、私は印象に残っていることが二つあります。

一つはその箱に入っているものです。それは、十戒です。十戒を通して、人々は神様がどのようなお方であるかを知ることができました。さらに、神様の聖さを知ることができました。

今でも、神様の御前に出るならば、そのことを悟るはずです。すなわち、神様は聖なるお方なのです。

そして、もし私たちが神様との関係を求めるなら、私たち自身も聖くならなければなりません。

けれども、箱の上に「あがないの蓋」というものがありました。

その蓋には他の名前もありました。それは「あわれみの席」です。

どの名前を使っても、神様との関係についてもう一つのことを学びます。

神様は聖い方で、私たちに「聖なるものとなりなさい」と言われますが、私たちは聖くありません。

ローマ書3:23にはこう書いてあります。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。

だから、私たちが神様に近づきたいなら、神様のあわれみが必要です。

あわれみとは何でしょうか。別の言い方をすれば、「私たちは自分の罪のゆえに罰に値する者ですが、神様はその罰をお与えにならない」ということです。

しかし、神様が私たちにあわれみをお与えになるためには、あがないが必要でした。

「あがない」とは「覆う」という意味です。すなわち、私たちの罪が覆われたのです。

旧約聖書の時代には、雄牛の血が人の罪を覆いました。

大祭司が契約の箱がある至聖所に入る時、その血を持っていかなければなりませんでした。

けれども、イエス様がこの世に来て、十字架でご自身の血を流されたので、今はイエス様の血が私たちの罪を覆ってくださいます。だから、イエス様の血によって、私たちは神様に近づくことができます。

ヘブル9:22にはこう書いてあります。

血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

どうしてでしょか。血は命の象徴なのです。(レビ記17:11)

イエス様の血の意味とは、イエス様がご自身の罪のない生涯を捧げ、私たちの罪ある生涯の代わりに、罪のゆえに罰をお受けくださったということなのです。

だから、契約の箱を通して、私たちは神様との関係について、2つの事を学ぶことができます。

一つは神様は聖なる方だから、神様との関係を求めるなら、私たちも聖なる人たちにならなければならないのです。

2つ目は私たちは聖くないから、罪のためにあがないが必要だったのです。だから、イエス様は十字架で私達の罰を受けて下さいました。

けれども、イエス様は無罪でしたから、神様がイエス様を復活させて、イエス様を通して、私達に永遠の命を提供してくださいます。

しかし、私たちがその二つのことを理解していなければ、神様との関係を持つことはできません。

その二つの真理を抱くことこそ、神様との関係の出発点なのです。

あなたは神様との関係を持っているのですか。

One reply on “神様との関係の出発点”

[…] なぜならば、神様は聖なる方だけど、私達はそうではないからです。そして、私達が学んだように、私達のような人々は神様との関係を作るのに、私達の罪のために支払いが必要です。イエス様だけがそうしてくださった。イエス様は完全な人生を生きました。全然罪を犯さなかった。仏陀は完全な人生を生きていなかった。モハマドも完全な人生を生きていなかった。イエス様しか、誰も「私は完全だ」と言えない。そして、完全で無罪の人だけが有罪の人の変わりに罰を受けることができます。 […]

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出エジプト26章 ーー 一つの道しかない | 聖書を読み通す への返信 コメントをキャンセル