この箇所を読んで、私が印象に残っていることは二つあります。
一つは、エポデ(つまり、祭司の服の部分)の肩当てに二つのしまめのうをつけたことです。
その石の上に、イスラエルの部族の名が刻まれていました。
そして、胸当てには十二の宝石がつけられていました。その宝石の上にもイスラエルの部族の名前が刻まれていました。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ刻まれていました。
つまり、大祭司の肩と胸の上にはイスラエルの部族の名前が書かれていました。
このことによって、神様が二つのことを教えようとされたのだと思われます。
一つ目は、祭司は自分の肩の上に、人に仕える重荷を負うということです。
祭司は仕えられる方ではなく、むしろ、祭司は他の人に仕える方でした。祭司の仕事は人々のために執り成し、神様の道を教えることでした。
二つ目は、祭司は人々を懐に抱かなくてはならないということです。つまり、神様のように祭司は人々を愛し、世話しなくてはならなかったのです。
もちろん、イエス様は完全な大祭司でした。イエス様はこう言われました。
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです(マルコ10:45)。
イエス様は全世界の罪を自分の肩に負って、十字架で死なれました。その働きによって、私たちの罪は赦されました。
それに、イエス様は私たちを懐に抱いておられます。私たちの名前がイエス様の心に書かれています。
イエス様は私たちのためにとりなし、教えてくださいます。羊飼いが羊を愛し、世話するように、イエス様は私たちを愛し、世話をしてくださいます。
イエス様はこう言われました。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます(ヨハネ10:11)。
でも、私が以前言ったように、あなたがクリスチャンであれば、神様はあなたを祭司として呼んでおられます。
そして、神様の祭司として、私たちの周りの人々の名前が私たちの肩と心の上に書かれているはずです。
イエス様のように、私たちは人々に仕えたり、神様の御言葉を伝えたり、執り成したり、神様の愛を与えたりするべきです。
自己中心になるのは簡単なことです。
私もよく自己中心になります。他の人々の名前が私の肩に書かれていません。私の名前だけが書かれています。私は他の人に仕えず、仕えてほしいです。他の人々の必要を無視して、私の必要と要求を求めます。
でも、それは祭司の心ではありません。そんな心は欲しくありません。
あなたはどうですか。あなたの肩の上には何の名前が書かれていますか。何の名前があなたの心の上に書かれていますか。
ただあなたの名前でしょうか。
それとも、神様があなたに与えられた人々の名前が書かれているのでしょうか。

One reply on “祭司の心”
[…] その後で、その金からエポデを作りました。どうして、そうしたか私は分からない。しかし、エポデは神様の祭司のためでした。祭司たちは神様と相談するときに、エポデを使いました。だから、その行動を通して、ギデオンは祭司の義務を取ったみたいです。 […]
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