私たちはイスラエル人の歴史を少し休憩して、ヨブ記を学びたいと思います。その理由は二つあります。
第一に、ヨブがいつ生きていたのか、私たちにははっきり分かりませんが、多分、彼はアブラハムの時代に生きていた可能性があります。また、モーセの時代に生きていたかもしれません。
いずれにしても、ヨブの物語はモーセ五書の時代に起こったとされています。そして、このブログでは、可能な限り聖書を時系列順に読むことを目指しています。
第二に、私たちの教会は新しいメッセージ・シリーズを始める予定です。そのテーマは「私たちが苦しむとき、神様はどこにおられるのでしょうか」ということです。
このブログとそのメッセージ・シリーズには強い関係があるかもしれません。
さて、ヨブについて聖書にはこのように書かれています。
この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。(ヨブ記1:1)
さらに、神様は彼を豊かに祝福されました。彼は、
東の人々の中で一番の富豪でした。(1:3)
けれども、突然、その平和な人生が失われました。 神様はサタンと話されたときに、ヨブについて誇られました。
おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。(1:8)
しかし、サタンはこのように答えました。
ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼と、その家とすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。
あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」 (1:9-11)
そして、神様はサタンにヨブを攻撃する許可を与えられました。サタンは一日でヨブの財産を破壊し、息子たちと娘たちを殺しました。
ヨブの反応はどうだったでしょうか。
彼はもちろん泣きました。けれども、その後で、ヨブは神様を礼拝しました。
私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(1:21)
ヨブは全く罪を犯しませんでしたので、サタンは神様に言いました。
皮のかわりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。(ヨブ記2:4-5)
再び、神様はサタンにヨブを攻撃する許可を与えられました。すると、サタンは「ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫瘍で彼を打ちました。」(2:7)
その時、ヨブの妻の忍耐は失われました。
彼女はこう言いました。
それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。(2:9)
しかし、ヨブはこのように答えました。
あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。(2:10)
私たちがヨブの人生について考えるなら、大切なことを心に留めるべきです。どうして私たちは神様を礼拝するのでしょうか。どうして神様に従うのでしょうか。それは、神様からの祝福だけが目的なのでしょうか。
ヨブはそのような人ではありませんでした。神様がしてくださったことのために礼拝したのではなく、むしろ神様が礼拝に値する方だからヨブは礼拝しました。
神様がヨブを祝福されたとしても、祝福されなかったとしても、神様は礼拝に値する方であり、ヨブの信頼に値する方です。だからこそ、ヨブは問題がいくつもあったとしても、神様を礼拝し続け、従い続けました。
あなたはどうでしょうか。どうしてあなたは神様を礼拝するのでしょうか。神様があなたを祝福してくださったからでしょうか。それとも、あなたの得のために従うのでしょうか。
あるいは、神様が礼拝に値する方だから礼拝するのでしょうか。神様があなたの信頼に値する方だから従うのでしょうか。
真の礼拝者は、神様が何をしてくださったかだけのために礼拝するのではありません。真の礼拝者は、神様が礼拝されるべき方であると信じるからこそ礼拝します。
また、真の礼拝者は、大変なことが起こったとしても、神様が良い方であることを信じ続けます。
あなたはどのような礼拝者でしょうか。
