時々、私たちは聖書を読むときに、聖書の登場人物が悪いことをするのを見ます。時には、聖書のヒーローですら、本当にひどいことをします。そして、私たちは尋ねます。「神様はそれを承認されたのか。それは神様の御心だったのか。」
特に、神様がその状況について何も解説されないときに、私はそう尋ねます。
時々、誰かが悪いことをしたとき、聖書にはこう書かれています。「その行為は神様の心をそこなった。」
たとえば、ダビデがバテ・シェバと姦淫を犯し、その夫を殺したとき、聖書にはこう書かれています。
しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった。(サムエル記第二11:27)
とはいえ、多くの場合、聖書には神様の感情が全く書かれていません。だから、神様が怒られたか、平気だったか、私たちはよく分かりません。
多くの人々はこう考えます。「神様はその行動を承認されたのかもしれない。もし承認されていなかったなら、なぜ聖書に何も書かれていないのでしょうか。」
けれども、それは誤った考え方です。エフタの話(士師記11章)で、私はこの疑問についてさらに語ります。しかし、この箇所でも、スコテとペヌエルという都市に対するギデオンの行動を考えると、同じような疑問が生じます。
その都市はガドという部族のものでした。イスラエル人がミデヤン人を追ったとき、彼らはその都市の人々にパンを求めました。ところが、その長老たちは拒絶しました。
なぜ拒んだのでしょうか。彼らが恐れたからかもしれません。もしイスラエル人がミデヤン人を征服できなかったなら、ミデヤン人はその都市に復讐したかもしれません。
しかし、この箇所をよく読むと、もう一つの可能性が見えてきます。長老たちがギデオンの願いを拒んだとき、彼らはギデオンを嘲ったのです。
「あなたたちは馬鹿です。あなたたちが300人しかいないのに、1万5千人の軍隊を攻めるつもりか。私たちは絶対手伝ってあげない。」(士師記8:15)
だから、ギデオンの勝利の後で、彼はその二つの都市に対して復讐しました。
神様はその行動を承認されたのでしょうか。聖書は沈黙しています。実際、多くの聖書の解説者はギデオンが正しいと解釈しています。
それでも、私の意見ですが、多分、神様は承認されなかったと思います。なぜ私はそう思うのでしょうか。
このような話を読んで、「神様は承認されたか」と尋ねるとき、ただその一つの話を読むだけではなく、聖書全体の教えを見なければなりません。
神様はこのような状況について何を教えておられるでしょうか。
二つのことを見ましょう。一つは正義についてです。神様はイスラエル人に教えられました。
いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。(申命記19:21)
それは復讐の教えではありませんでした。むしろ、それは罰の制限でした。つまり、その罰は罪と同等でなければなりませんでした。罰は罪より大きくてはなりませんでした。
その二つの都市はギデオンの軍隊にパンをあげることを拒絶し、ギデオンたちをからかいました。荒野の茨やとげの罰、また、やぐらの壊し、また人を殺すことは、その罪に合っていたでしょうか。
私の意見ですが、その罰は彼らの罪に合っていなかったと思います。それがギデオンの傷ついたプライドによる復讐のように見えます。
二つ目のことは、イエス様の申命記の解説です。
イエス様は言われました。
『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。(マタイ5:38-39)
あなたが考えると、それは本当に心を打つ描写です。
イエス様は言われました。もし、誰かがあなたの右の頬を打ったら、左の頬も向けなさい。
もしあなたが右利きで、相手に向かい合ったなら、どうやって相手の右の頬を打つでしょうか。手の甲で打たなければなりません。
けれども、通常、相手の体を傷つけるために手の甲は使いません。それは侮辱の行為なのです。
だから、イエス様が意味されたのは、もし、誰かがあなたを侮辱するなら、赦しなさいということです。その人と喧嘩しない、という意味です。
ギデオンはそうしませんでした。もちろん、その都市の長老たちは悪かったです。しかし、ギデオンの反応も悪かったです。左の頬も向けずに、彼は復讐しました。
いずれにせよ、私のポイントは、聖書に神様がその行動を見て怒られたと書かれていないからと言って、神様がその行動を承認されているとは限らないということです。
私たちは、聖書の全体の教えを見なければなりません。そうすれば、神様の承認かどうか分かるようになります。

2 replies on “神様はその行動を本当に承認されたのか”
[…] その二つ目の疑問には以前のブログに答えがあります。もし、エフタが本当に全焼のいけにえとして、娘を捧げたら、神様はそのいけにえを絶対に受け入れなかったでしょう。どうして、私はそう思うでしょうか。モーセを通して、神様は律法を伝えたからです。つまり、 […]
いいねいいね
[…] その二つ目の疑問には以前のブログに答えがあります。もし、エフタが本当に全焼のいけにえとして娘を捧げたら、神様はそのいけにえを絶対に受け入れなかったでしょう。どうして、私はそう思うでしょうか。モーセを通して、神様はそんないけにえを禁止したからです。つまり、 […]
いいねいいね