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サムエル記第一

サムエル記第一21:1-9;22:6-23

私は嘘が嫌いです。

英語では「白い嘘」という表現があります。これは「悪意がない嘘」という意味です。例えば、友達が「このドレスを買ったのよ、素敵でしょ?」と言ったとします。

実はそのドレスが嫌いだけど、こう答えるかもしれません。「そうですね、素敵なドレスですね。」

これがいわゆる「悪意がない嘘」です。

けれども、私は悪意のない嘘も嫌いです。基本的に、私は嘘を避けます。

もちろん、真実が相手を傷つけると分かっている場合には気を付けます。

例えば、「本当に酷いドレスね。なぜそのドレスを買ったの?」とは絶対に言いません。

むしろ、「ああ、新しいドレスを買ったの?良かったねえ。」と答えるかもしれません。

それが少しあいまいな返事です。私にとって、その意味は「そのドレスは素敵です」ということではなく、「あなたが新しいドレスを買って嬉しいことは良かったです」ということです。

私はできるだけ嘘を避けるようにしています。

なぜ、嘘をつくことがそんなに悪いのでしょうか。このダビデとサウル、そしてノブの祭司の話から、二つの理由を学ぶことができます。

一つは、嘘をつく時、相手を傷つける意図がなくても、結果的に私たちはそうしてしまうことがあるということです。

おそらく、ダビデはサウルがノブの祭司たちを殺すとは思いませんでした。ダビデはこう考えたのかもしれません。

「彼らは祭司たちだ。サウルが私を助けたことを知っても、彼らが『ダビデがあなたから逃げているとは知らなかった』と説明すれば、必ず信じるだろう。」

けれども、サウルは彼らを信じなかったので、彼らを殺しました。そして、ダビデには85人の祭司の死の責任がありました。

私たちは自分の嘘が悪い結果をもたらさないと思うかもしれませんが、意図しない結果が出ることもあります。

何年か前、私はある会社で働いていました。しかし、その会社は経済的な問題を抱えていて、最終的に倒産しました。

ある月、私の給料は遅れて支払われました。本来なら金曜日に振り込まれるはずでしたが、月曜日になってから支払われたのです。私は金曜日に銀行に行かなかったため、月曜日までそのことを知りませんでした。

その日、学校で説明する文書を読んで給料遅延を知りました。

とにかく、家に帰ったとき、妻が「仕事はどうだった?」と尋ねました。そのとき私はこう考えました。「この給料のことを伝えるべきだろうか。結局、給料は来たし、妻を心配させたくない。」

けれども、結局私はこう思いました。「伝えた方がいい。」

伝えた後、妻はこう答えました。「そうそう!昨日、教会で、だれだれさんがそう言っていたわ。」

私の教会の友達もその会社で働いていたので、「ブルースは大丈夫でしょうか。金曜日に会社が払ってくれなかった」と言っていたそうです。

妻がそう言った時、私はこう思いました。「真理を言って良かった!」

その日、私が学んだことは、相手が真理を知らないと思っていても、実際には知っている可能性があるということです。そして、もし私が真理を言わない場合、それが私たちの関係を傷つけることにつながる可能性もあるということです。

もし、私が真理を言わなかったら、妻は何を思ったでしょうか。そして、真理が後に明らかになった時、どう感じたでしょうか。

二つ目の理由は、時々、私たちは自分自身の嘘を信じ始めてしまうということです。

サウルはまさにその典型でした。サウルには、ダビデが自分に反対したり、自分を殺そうとしたりすることを信じる理由はありませんでした。

しかし、サウルは何度も他の人々にそう言い続けた結果、最終的に彼自身もそれを信じるようになってしまったのです。

そして、ヨナタンやノブの祭司たちが真理を伝えたとき、サウルはその真理を認めることができませんでした。そのため、サウルはノブの祭司たちを殺し、さらにはヨナタンさえも殺そうとしました。

あなたは真理を語りますか。それとも、嫌な状況や困難な状態を避けるために嘘をつくでしょうか。自分の行動を正当化するために、自分自身や他の人々に嘘をつくでしょうか。

たとえ小さな嘘でも、結果的にあなたや他の人々を傷つけることにつながるかもしれません。

パウロはこう書きました。

互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、

新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ3:9-10)

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