詩篇57篇を読むと、試練の中でダビデの態度が素晴らしいと思います。サウルから逃げたり、恐れたりしても、ダビデは礼拝することを選びました。
ダビデは歌いました。
神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。
主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。(詩篇57:7ー11)
この言葉を読むと、なんだか、私の心の中で響きます。
私は歌います!ほめ歌を歌いましょう!
私の魂、目を覚ませ!
十弦の琴よ。立琴よ。目をさませ!
あなたに感謝します!
国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌います!
あなたの恵み、あなたの愛は大きくて素晴らしい!
あなたがあがめられるように!
私はこの言葉を読んで、ダビデが熱心に歌ったと想像します。彼の大変な状況にもかかわらず、ダビデは神様を礼拝することを意図的に選びました。意図的に、神様の慈しみを思い出すことを努力しているようです。
でも、私たちはよく、「今、礼拝する気がない。今、その気持ちがない」と思います。
でも、ダビデが自分自身に神様を礼拝することを励ましたように、私たちもそうするべきです。礼拝する気があってもなくても、礼拝するべきです。どうしてでしょうか。
最近の詩篇はこのように答えます。
あなたの栄光と光を見て、
あなたと比べると、
この世界のもの、
また、この世界のトラブルが見劣りする。
また、他の作詞家が歌っているように、
あなたの光で、周りの物はただ影になる。
つまり、この世界の中には私たちががっかりさせられることがたくさんありますが、光であるイエス様と比べると、その事はただ影にすぎません。そして、私たちがイエス様に焦点を当てると、私たちのトラブルは見劣りするのです。
なぜでしょうか。イエス様に焦点を当てると、イエス様が私たちの問題よりも大きいことが分かり、私たちの人生についての考え方が正しくなります。
だから、あなたの人生が辛い時にも、礼拝することを選んでください。そして、イエス様に焦点を当てると、失われそうな平和と喜びが戻ります。
その時、ダビデのように、あなたも言えるでしょう。
私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。(7節)
