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サムエル記第一

賢明な人と愚か者の違い

サムエル記第一25章

この箇所から、たくさんのことを学べると思います。

例えば、大きな罪だけでなく、小さな罪も許すべきであることです。(少し驚くかもしれませんが、どうしてダビデはサウルに命を狙われながらも彼を許したのに、ただ侮辱された人を許せなかったのでしょうか。)

また、相手の怒りをどのように扱うかということです。(つまり、アビガイルの柔らかな言葉と如才ない態度。ところで、アビガイルがダビデに願った際に、石投げの比喩を使ったことに気づきましたか。)

けれども、一番印象に残るのは、ダビデとナバルの違いです。

ダビデとその民は長い間ナバルの民を守り、祝いの日のために食べ物などを願いました。しかし、ナバルはその願いを聞き入れず、拒絶しました。

ナバルのしもべたちは彼の気を変えようとしましたが、ナバルはそのアドバイスを無視しました。

そこで、しもべたちはアビガイルのところに行き、こう言いました。

わざわいが私たちの主人と、その一家に及ぶことは、もう、はっきりしています。ご主人はよこしまな者ですから、だれも話したがらないのです。(サムエル記第一25:17)

アビガイルはそれを聞くと、すぐにダビデとその民のために、さまざまな食べ物やワインを準備するように命じました。そして、彼女自身でダビデに会いに行きました。

アビガイルがダビデに許しを願うと、ダビデはその言葉に耳を傾け、怒りを収めてこう言いました。

安心して、あなたの家へ上って行きなさい。ご覧なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。(35節)

もちろん、賢明な人と愚か者にはさまざまな違いがありますが、その中の一つは、賢明な人は相手の話に耳を傾けるのに対し、愚か者はそれを聞きません。

特に、賢明な人は叱責を素直に受け入れる一方で、愚か者は全く聞こうとしないため、最終的には苦しむことになります。

ダビデは、叱責を常に受け入れていたので、神様に祝福されました。一方、ナバルはそれを拒絶したため、苦しみを味わいました。

あなたはどのような人でしょうか。

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