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サムエル記第一

それにしても、あなたの人生に悪がないように

サムエル記第一25:25-31;26章

「だって、彼は先に私を殴ったよ。」

どれほど多くの子供たちが喧嘩の後で、このように言うでしょうか。

けれども、許さない態度や復讐については、大人もまた同じような言葉を口にします。

「どうして私が許さなければならないのですか。彼はまだ謝っていないのに。」

また、

「もちろん、私は苦々しい思いをしています。彼の行動のせいで、私にはその感情を持つ権利があります。」

さらには、

「私はこの喧嘩を始めていませんが、この喧嘩を終わらせるのは私です。彼に復讐をすれば、きっと自分の行動を後悔させるでしょう。」

しかし、アビガイルの言葉を通して、私たちは違う考え方を学ぶことができます。

アビガイルがダビデに、夫を赦すことを願った時に、こう言いました。

どうか、このはしためのそむきの罪をお赦しください。は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう。

ご主人さまはの戦いを戦っておられるのですから、一生の間、わざわいはあなたに起こりません。

たとい、人があなたを追って、あなたのいのちをねらおうとしても、ご主人さまのいのちは、あなたの神、によって、いのちの袋にしまわれており、主はあなたの敵のいのちを石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。(サムエル記第一25:28-29)

英語の翻訳は少し異なります。28節の最後の部分に、次のように書いてあります。

一生の間、あなたの中に悪(つまり、罪)がないように。(NIVの英訳)

もし29節を読めば、ダビデの状況が本当につらいものであったことが分かります。なぜなら、サウルがダビデを追いかけ、命を奪おうとしていたからです。

それにしても、ナバルのダビデに対する態度においても、アビガイルはこう言いました。「一生の間、あなたの中に悪がないように。」

それを読んで、私は考えました。「どのような状況でも、どれほど誰かがあなたを悪く扱ったとしても、神様はあなたの中に悪がないことを望んでおられる。」

ダビデの場合、この言葉は「ナバルがあなたを悪く扱ったとしても、また、サウルがあなたを殺そうとしたとしても、それにしても、一生の間、あなたの人生に悪がないように」という意味でした。

では、私たちの場合はどうでしょうか。

誰かがあなたを傷つけたとしても、あなたの人生に悪がないように。

誰かがあなたを悪く扱ったとしても、あなたの心に苦い根が育たないように。

誰かが悪いことに値したとしても、復讐の思いがあなたの心に浮かばないように。

むしろ、パウロが言ったように、

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:31-32)

多分、神様がダビデにそのことを思い出させるために、アビガイルを送られたのだと思います。そして、もう一度ダビデがサウルを殺す機会が訪れた時に、その言葉はダビデの心に響いたことでしょう。

ダビデにとって、怒りに任せてこう考えるのは簡単なことでした。

「以前、あなたを殺さなかったのに、まだあなたは私を追いかけているのですか。もう許せません。私があなたの敵だと思い続けているのですか。ならば、私はあなたの敵になります。あなたを殺します。」

けれども、ダビデはむしろアビガイルの言葉を思い出しました。「誰かがあなたを殺したくても、あなたの人生に悪がないように。」

そして、ダビデは再びサウルを許して彼を離しました。

あなたはどうでしょうか。

心の中に苦しみや苦さを抱える言い訳をしていないでしょうか。復讐の思いがある言い訳をしていないでしょうか。相手を許さない理由を探していないでしょうか。

アビガイルの言葉を思い出してください。

「それにしても、あなたの人生に悪がないように。」

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