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歴代誌第一

神様のために宮を建てる

歴代誌第一22章

ダビデは自分のために宮殿を建てた後、神様がまだ幕屋に住んでおられることを思い浮かべました。

(もちろん、神様が本当に幕屋に住んでおられたわけではありませんが、幕屋は神様の臨在を象徴していました。)

そこで、ダビデは神様のために宮を建てる計画を立て始めました。しかし、神様はダビデを止めて言われました。

「あなたの息子がその宮を建てます。」

数年後、ダビデは亡くなる前にその準備を始めました。彼自身が宮を建てることはありませんでしたが、その宮を建てるために必要な材料をすべて集めようとしました。

この箇所から、私たちが覚えるべきことがあります。それは、神様の宮はもはや建物ではないということです。私たちこそ神様の宮であり、神様は私たちの内に住んでおられるのです。第一コリント6:19に、こう書いてあります。

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

私たちはそのことを思いながら、神様の宮を建てること、つまり、生ける宮となることについて、覚えておかなくてはならないことがあります。

まず初めに、ダビデはソロモンに語りました。

主のために建てる宮は、全地の名となり栄えるように大いなるものとしなければならない。(歴代誌第一22:5)

そのように、神様は私たちが素晴らしい存在となることを望んでおられます。なぜなら、周りの人々が私たちを見ると、心を動かされ、「きっと、神様はその人の内に本当に住んでおられる。その人は他の人とは本当に違う」と言うようになるからです。

そして、私たちを通して、人々は神様の栄光と素晴らしさを見ることができ、神様に近づきたいと考えるようになるのです。

二つ目に覚えておくべきことは、宮を建てたいなら、心を尽くして神様に従わなければならないということです。

ダビデはソロモンにこう語りました。

ただ、主があなたに思慮と分別を与えて、あなたをイスラエルの上に任命し、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。

主がイスラエルについてモーセに命じれらたおきてと定めをあなたが守り行うなら、あなたは栄える。

強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない。おののいてはならない。(歴代誌第一22:12-13)

三つ目に覚えておくべきことは、時として私たちが罪と戦う中で、落胆してしまうことがあるということです。

または、サタンが私たちを攻撃し、それによって私たちは失望してしまうことがあります。

そして、「もう神様の宮になることは無理だ」と思い、諦めようとするかもしれません。

しかし、ダビデはソロモンに言いました。

強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない。おののいてはならない。(13b)

どうすれば強くなり、雄々しくなることができるでしょうか。そして、どうすれば恐れや失望と戦うことができるでしょうか。

二つのことを覚えておく必要があります。

一つ目は、私たちが神様の宮となるために、神様が必要なものを私たちに与えてくださるということです。

ダビデが困難の中で主の宮のために材料を集めたように、イエス様もご自身の困難を通して、私たちが神様の宮となるために必要なものを与えてくださいました。つまり、イエス様は十字架で、私たちの罰を代わりに受けてくださいました。

そのため、ペテロはこう言いました。

というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。

その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。

それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。(第二ペテロ1:3-4)

つまり、私たち自身の力で神様の宮を建てるべきではありません。むしろ、神様が私たちの内で働いてくださり、聖なる人生を生きるための力を与えてくださいます。

二つ目に覚えておくべきことは、神様が私たちを助けるために人々を与えてくださったということです。彼らはその宮を建てることを助けます。

ダビデがイスラエルのリーダーたちにソロモンを助けるように命じたように、神様は私たちにも互いに助け合うように命じられました。

ヘブル人への手紙の著者はこう書いています。

また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(へブル10:24-25)

私たちは神様の宮です。私たちが国々に神様の栄光を示す存在となるように。

特に、私たちが周りの人々に神様の栄光を映し出し、現すことができるように。

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