歴代誌の著者は名前のリストを書くことがとても好きなようです。この箇所では、私たちは多くのリストを見ることができます。
この箇所は、神様の宮を建てる人々の役割について述べています。けれども、これを読むと、私たちが学べることがあると感じます。
23章では、レビ人の役割が変わりました。
砂漠を越えた時、彼らの役割は幕屋とその中の物を運ぶことでした。しかし、その必要がなくなったため、彼らは祭司たちを助け始めました。
おそらく砂漠の時代にも祭司たちを助けていたでしょうが、この箇所では彼らの責任がより具体的に記されています。
時にはその責任が小さなものに見えたかもしれませんが、彼らは忠実にそれを果たしました。
同じように、私たち全員には神様の国の中で役割があります。
私たち全員が牧師ではありませんし、全員が賛美のリーダーでもありません。それでも、それぞれに神様から与えられた才能と賜物があります。
神様の器として、また神様の宮として、私たちはその才能と賜物を使わなければなりません。
時に私たちの役割は変わることがありますし、私たちの責任が小さいと感じることもあるかもしれません。それでも忠実に主に仕えましょう。
24章は祭司たちについて述べています。彼らは宮で主と民に仕えるべき存在でした。
同じように、私たちも祭司たちです。(第一ペテロ2:5;黙示録1:6)
私たちは神様の祭司として、神様と周りの人々に仕えるべきです。
25章はミュージシャンと歌手について述べています。
主に仕える一つの方法は礼拝です。
私たちは礼拝する時に、神様を祝福します。
古い英語の聖歌に「私たちの心が礼拝を始めると、私たちは祝福される」と記されています。
これはまことに真実ですが、私はよくその歌詞を変えて歌います。
「私たちの心が礼拝を始めると、あなたが祝福されるのです。」
なぜなら、それが賛美の本来の目的だからです。私たちが祝福されるためではなく、むしろ神様を祝福するためです。
さらに、私たちの礼拝を通して、他の人々を祝福することもできます。
3節で、エドトンという人は賛美しながら預言しました。
同じように、私たちが歌う時、その言葉は周りの人々に影響を与えることができます。また、その曲によって、周りの人々は神様の臨在を感じることができるのです。
26章は門衛について述べています。
歴代誌第一9:17-33によると、彼らにはさまざまな責任がありました。
一つの責任は門を守ることでした。つまり、「汚れたもの」が入らないようにチェックすることでした。
同じように、私たちも、汚れたものが入らないように、自分の心を守らなければなりません。
それに、門衛たちは宝物倉を泥棒から守らなければなりませんでした。
同じように、サタンは私たちのイエス様にある喜びと祝福を盗もうとします。だからこそ、私たちは自分の心を守らなければなりません。
27章は、宮のあるエルサレムを守る軍隊について述べています。
この箇所を読むと、私たちが霊的な戦いのただ中にいることを思い起こすべきです。
そのため、誰かが神様の国に対して戦いを挑むなら、私たちはその国を守らなければならず、また、サタンの国を攻撃しなければなりません。
つまり、私たちは福音を伝えなければならないのです。それによって、サタンの囚人を解放することができるのです。
しもべ、祭司、歌手とミュージシャン、門衛、そして兵士。
それだけではなく、私たちは神様の宮でもあります。
キリストにあって、私たちはこれらすべてを担っているのです。
