私たちはこの世の中に悪を目にするたび、「どうして」と問いかけることがどれほど多いでしょうか。
例えば、4年前に東日本大震災が発生しました。多くの人々が、このような災害を目の当たりにしてこう尋ねました。「どうして神様はこのような出来事をお許しになるのでしょうか。」
また、人々が行う悪い行いも目にします。例えば、新聞では殺人やレイプの記事をよく見かけます。さらに、現在のISISの問題もその例の一つです。そのため、多くの人々は「どうして」と問いかけます。
そして、彼らは振り返り、「昔の時代は良かった。昔はこのような問題が今ほど多くはなかった」と考えます。
けれども、ソロモンは次のように記しました。
「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。(伝道者の書7:10)
どうしてソロモンはそう言ったのでしょうか。それは、多くの場合、私たちが答えを見つけられないからです。だからこそ、神様の知恵を求め、その知恵によって心の平和を守りましょう。
確かに、ある程度までお金は私たちに平和をもたらすかもしれません。しかし、最終的に平和を与えるのは、神様の知恵だけです。この混乱した世界において、神様の知恵だけが、私たちに正しい視点を与え、この世を見る力をもたらしてくれるのです。
けれども、私たちがいつも「どうして」と問い続けるなら、絶望に導かれてしまいます。
そのような人は、次のような質問を投げかけるかもしれません。
神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。(7:13)
つまり、「どうして私たちは神様と争うことができるでしょうか。この悪は神様のせいです。神様が行ったことを私は変えることができません。
もし神様が順境の日を作られたと言うなら、神様が逆境の日の責任も負っていると言わなければなりません。そして、毎日目覚めるたびに、神様がどのような日を与えてくださるのか、私たちには分からないのです。」
そのような人はさらにこうも言います。
「正しい人が早く亡くなるのを見たことがありますし、悪い人が長く生きるのを見たこともあります。だから、極端に正しい人生を生きることは愚かです。
もちろん、私の行動が悪すぎるのも良くありませんが、それもまた愚かな考え方です。なぜなら、私も神様を恐れているからです。だから両極端を避けましょう。私は自分の人生を楽しみたいのですから。」(7:15-18)
けれども、ソロモンはどのように答えるでしょうか。
「正しい人とはどういう意味ですか。正しい人が早く死ぬと言いますが、実際には正しい人など誰もいません。この世界でどれほど探しても、正しい人を見つけることはできませんでした。
例えば、多くの人は、相手が聞いていないと思うと、すぐにその人を呪います。あなたもそのようなことをするでしょう?
初めに、神様は良い人々を造られましたが、結局、彼らは自分の道を進み、多くの悪を行うようになりました。それでも、あなたは彼らを正しいと言いますか。(7:20-29)
ですから、賢く生きなさい。法律に従いなさい。権威ある人々の言葉に耳を傾けなさい。今苦しんでいても、最終的にはすべてが良くなります。
ただし、悪いことをすれば、その結果を知ることになり、逃れることはできません。(8:1-8)
もちろん、この世では人々が他の人々を傷つけます。もちろん、時には悪い人が死ぬときに称賛されることもあります。もちろん、正義が行われないために悪が広がっています。しかし、最終的には正義が訪れるのです。
もちろん、正しい人が悪い人の報いを受け、悪い人が正しい人の報いを受けることがあります。もちろん、それは公平ではありませんし、正しくありません。けれども、それを私たちがコントロールすることはできません。
たとえ理解しようとしても、決して理解することはできません。一番賢い人であっても、それを理解することはできないのです。『私は答えを知っている』と言ったとしても、それは誤りです。
だから、そのことについては、もう心配するのをやめたほうが良いでしょう。
むしろ、人生の良いことに焦点を当ててください。神様からの賜物に焦点を当ててください。そうすることで、喜びを見つけることができます。」(8:9-17)
ソロモンは正しいと思います。もし、私たちが「どうして」に焦点を当て続けるならば、狂気に陥るでしょう。なぜなら、私たちは神様が織りなすタペストリー全体を見ることができないからです。
そのタペストリーは、時間の初めから終わりまで続くものです。私たちが理解しようとしても、そのタペストリーを完全に理解することはできません。私たちの人生はとても短いのですから。
しかし、私たちは二つのことを理解することができます。
すべての営みには時とさばきがある。(8:6)
また、
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(3:11)
「どうして」という問いの答えを理解する必要はありません。むしろ、次のことを覚えておかなくてはなりません。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
そう覚えておけば、「どうして」という問いの答えが分からなくても、喜びを見つけることができるでしょう。
